東京大学 大学院理学系研究科 有機合成研究室(小林研究室)

有機合成の常識への挑戦 固体NMRが支える溶けない固体触媒開発

東京大学の小林修教授は環境調和型の化学「グリーンケミストリー」の第一人者。20年以上、化学物質を合成する際に発生する廃棄物や、消費するエネルギーや資源、人体や環境への影響を抑え、地球環境への負荷を減らそうと尽力しています。

東京大学 大学院理学系研究科 有機合成研究室(小林研究室)

製薬を劇的に変える温故知新の手法

医薬品や化成品といったファインケミカル製造は、常に土壌や水質汚染といった環境問題と背中合わせです。合成の過程で排出される廃棄物の量は医薬品の場合、生成する医薬品の実に20倍から100倍以上にも上るとされており、環境への負荷は決して無視できるものではありません。

フロー精密合成装置

フロー精密合成装置

そこで教授は、古くからアンモニアなど基礎化学品の大量合成で使われていたフロー合成に着目し、複雑な有機合成への応用を目指してきました。フロー合成は一つ一つの反応を担うカラムを管でつなぎ、原料を流しこむだけで反応を終わらせることができる手法。通常、有機合成で用いられるバッチ法では一反応ごとにタンクを替える必要があるのに対し、フロー法では操作が大幅に簡略化され、廃棄物の量も大幅に抑えることができます。しかし、それゆえに合成の過程で発生する副産物が取り除かれず、反応過程に影響を与えてしまうことが課題とされてきました。副産物を出さずに、目的とする物質を作り出すべく反応過程をどう設計するか、教授は研究を重ねてきました。

常識を覆す溶けない触媒

研究のキーとなるのは、溶媒に溶けない触媒。通常、触媒は原料と一緒に有機溶媒に溶かされ、反応後は溶媒ごと廃棄されます。それに対して、教授は溶媒に溶けることなく、かつ反応性も高い触媒を開発。この触媒は回収して再利用できる上、触媒が次のカラムに流れ出すことがないため、反応過程の設計や触媒の組み合わせの自由度が高まりました。
「バッチ合成に比べ装置の規模は10分の1、有機合成に必要な廃棄物は100分の1で済みます。机の上に製薬工場ができます。そのサイズでも一時間に1kgは十分作れます」と教授は自信をのぞかせています。
2015年の4月には、抗炎症効果のある原薬、ロリプラムを作り出すことに成功。論文がNature誌に掲載されました。カラムを入れ替えるだけで鏡像異性体を作り分けられるだけでなく、原料の半分を薬として取り出せるという高い収率を示しました。
「一年経った今では収率は90%以上まで上がっており、実用化を考える時期に来ています」

開発を支えるNMR

MICCS

MICCS

目覚ましい成果を支えているのが固体用の核磁気共鳴装置(NMR)です。
新しく開発した触媒は、その反応機構を解き明かすために分子構造を原子レベルで理解する必要があります。しかし、教授が研究する触媒は、固体であるがゆえに測定が困難でした。
そこで教授は、JEOLに協力を依頼。共同で研究を進め、1997年にはSR-MASという測定方法の開発に至りました。マジックアングルと呼ばれるスペクトルが平均化されやすい角度に傾けたまま試料を高速回転させることで、信号がブロードになる固体特有の問題を解決。さらに、固体触媒の表面をゲル状にすることで、分子の動きを速くし、固体でありながら液体同様のシャープな信号を測定することに成功したのです。現在では発展型のFG-MASが高性能触媒の開発に一役買っています。

一方、反応過程の設計には、反応中の触媒や生成物の状態をリアルタイムで測定する技術も必要とされていました。そこで導入されたのが、JEOLのMICCS(MIcro Channeled Cell for Synthesis monitoring)。プローブに検出用のマイクロチップを挿入し、別々のポンプを使って原料を流し込むことで、NMR内部で反応を検出するアプリケーションです。時間とともに変化するプローブ内部の物質の分子構造が常に測定できます。

NMRはJNM-ECZ600Rをはじめ、JNM-ECX600,JNM-ECA500, JNM-ECX400を使用していただいています。

NMRはJNM-ECZ600Rをはじめ、JNM-ECX600,JNM-ECA500, JNM-ECX400を使用していただいています。

さらに今回、固体専用機としてJNM-ECZ600Rを導入。
「フローの中でこなすプロセスが増えていくと、リアルタイムで反応物質や触媒の状態を測る必要性が増します。NMRで測定できる分子の種類が増えたことで、もっと複雑な化合物をフローで作れるようになるでしょう」と、教授も期待を寄せます。

環境と化学の調和を目指して

現在教授は、フロー合成の普及を目指し、産官学連携によるパイロットプラントの立ち上げを進めています。興味があれば誰でもプラントを使えるようにすることで、フロー合成の良さを体感できるようにしようという狙いです。
さらに教授は水素化社会を実現すべく、水素を安全に運ぶ技術の開発を検討。可燃性が高く爆発しやすい水素も、トルエンと反応させてメチルシクロヘキサンという安定な物質にすれば安全に運べます。教授はメチルシクロヘキサンから水素を効率的に取り出す触媒の開発を目指しています。

「燃料電池が出すのは水だけ。この水も太陽光のエネルギーを使って水素を取り出せるような触媒が作れれば、環境にまったく負荷のないエネルギーとなります。化学を通して環境だけでなく、人類の福祉や健康、エネルギーなどで社会に貢献していきたいですね」

  • PROFILE

    小林修(こばやししゅう)

    東京大学大学院理学系研究科教授

    東京大学大学院理学研究科博士課程中退後、1987年東京理科大学理学部応用化学科助手。
    1988年理学博士取得。
    1991年より同大学理学部講師、1992年助教授を経て、1998年より東京大学大学院薬学系研究科教授。
    2007年より現職。
    1991年の「カルボカチオン種を用いる高立体選択的反応の研究」での日本化学会進歩賞を皮切りに、アメリカ化学会賞、ハミルトン賞、フンボルト賞など受賞歴多数。

    小林修(こばやししゅう)