2013年4月、JEOL RESONANCEは、世界初となるゼロボイルオフ超伝導マグネットを用いたNMRシステムの実用化に成功した。
ヘリウムの供給不安を払拭する画期的な装置誕生までの軌跡を追う。

消えないノイズ

技術部 統括部長 末松浩人

技術部 統括部長 末松浩人

会議室の空気は重かった。
2011年度からスタートしたヘリウムの補充が不要なNMRの開発プロジェクト。すでに2年が経とうとしていたが、どうしても信号にノイズが混じる。
考えられる手はすべて打ってきたが、有効な手だてはおろか、ノイズの発生原因にさえ、たどり着けない。
「あと考えられるのは、これくらいでしょうか?」
出てきたアイデアは、ずいぶん的外れに思えた。
「それは、まず関係ないんじゃない?」
「まあ、いいよ。ここまで来たら、とりあえずやってみようよ」
そのやりとりを聞きながら、開発チームのリーダーである技術部統括部長 末松浩人は、ため息をついた。数ヶ月後に迫っていた大規模な学会で予定していた完成品の発表を、延期しなければならないなと、半ば覚悟を決めていたという。

ヘリウム・ショック

NMRでサンプルの原子核を振動させるために必要な強い磁場は、超伝導マグネットによって発生する。
超伝導マグネットは、特定の金属を絶対零度に近い極低温状態のなかに浸けることで磁場を起こすもので、その冷媒として使えるものは事実上、液体ヘリウムしかない。

だが、ヘリウムを手に入れるのは、決して容易ではない。
天然ガスの副産物として生産されるが、もちろん日本では生産できず、約95%を米国からの輸入に依存している。
しかも、その大半は、BLM(米国土地管理局)と世界最大の石油メジャー・エクソンモービルのガス田から採取されており、BLMやエクソン社の事情によって、たちどころに供給不安が発生する。

事実、2012年夏、エクソン社のプラントが数ヶ月の定期保守に入り、続けてBLMのプラントにトラブルが発生すると、供給体制が一気に悪化し、ガス業者の倉庫からヘリウムが消える「ヘリウム・ショック」が日本を襲った。テーマパークから、ヘリウムガス入りのバルーンが消えたのは、おいておくとしても、半導体の洗浄や光ファイバの製造にもヘリウムは不可欠で、製造の現場では計画変更を余儀なくされるところが出てきた。
NMRも、停止を余儀なくされる研究所が相次いだ。

開発スタート

「ヘリウムを注ぎ足さなくてもいいNMRが作れないか」
これまでもヘリウム不足が問題化するたびに、悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
そうでなくても、補充するときは装置を1日止めなければならず、研究に支障が出るほか、凍傷などの危険もつきまとう。
ヘリウム補充を必要としないNMRは、そうした不都合を一気に解消する可能性を秘めていた。
原理的には、決して難しいことではない。

NMRの液体ヘリウム槽は、徐々に気化するヘリウムを適宜“ガス抜き”しているが、放出しないで再度冷却して液体として槽に戻すことができれば、補充を必要としない(ゼロボイルオフ)超伝導マグネットができあがる。
実際、同じ超伝導を用いる検査装置でもMRIではすでに冷凍機を搭載したゼロボイルオフタイプが登場している。
一方、より精緻な測定を行うNMRでは冷凍機の起こすわずかな振動が問題になって、いまだ実現していなかったがここ数年優れた冷凍機が登場し、実現の可能性が高まってきた。
そこでJEOL RESONANCEは、2011年1月から計画を本格化。同年4月には、株式会社産業革新機構の出資を受けて開発費のめどがつき、いよいよ開発がスタートした。

目に見えない振動

計画は順調に進み、1年後の2012年1月、試作機が完成した。だが、スイッチを入れ、受信した信号がモニタに表示されたとき、末松は目を疑った。
「予想外に大きな振動ノイズが出ているんです。長い技術者生活でも、これほど大きなノイズが出たのは見たことがない。電気系統で単純なミスをして、予想外の電圧がかかったとか、そんな間違いだろう、と思いました」

サイドバンドノイズの発生量比較

サイドバンドノイズの発生量比較

すぐに全箇所をチェックして、調整し、再度テストしてみたが、結果は同じ。チーム全員が頭を抱えることになった。
問題が冷凍機の起こすわずかな振動にあることは明らかだった。
冷凍機が動くときに生じるわずかな振動が槽を伝わってヘリウムを揺らすと、それがノイズとなって検出される。
そこまではわかっていた。だからこそ末松らは、冷凍機の振動を抑えるために、徹底的に対策を講じていた。
振動が極めて少ない冷凍機を採用するとともに、接合部分にダンパーを組み込み、わずかな振動も吸収し、許容範囲に抑え込んだはずだった。
だが、現にノイズはある。

長年のパートナー企業である超伝導マグネットメーカーのジャパンスーパーコンダクタテクノロジー(JASTEC)に加え、機械振動の専門家にも参加してもらい、何度も設計を見直した。
さらに1年をかけて、大掛かりな設計変更だけでも5回行い、細かい調整を含めば、「数えきれないくらい」のテストを行った。
それでもノイズは減らない。ほとほと頭を抱えて臨んだ何回目かもわからない会議で出てきたのが、それまで気にも留めていなかった“目に見えない振動”だった。

革新は、始まったばかり

「システムの構成上、どうしても生じる振動ですが、本当にごくわずかなもの。そんなものが影響するとは到底考えられませんでした」
ほとんど期待しないまま、対策をした6回目の設計変更。
だが、効果はあった。見事にノイズが抑えられたのだ。
それからの動きは早かった。評価やアプリケーションの作成を行うスタッフなども加わり、急ピッチで製品化。2013年4月、アメリカで最大のNMR学会で「世界初、ヘリウムの補充が不要なNMR装置」の発表にこぎつけた。

ヘリウム不足に悩む世界中の研究室が、この成果に喝采を送り、5月には早くも受注がスタート。
順調な滑り出しを見せている。
ヘリウム不足は、一過性ではなく、今後恒常的な現象になると見る向きがある。
ここに来てシェールガスの採掘技術が確立し、天然ガスプラントの操業率は低下。
天然ガスプラントで採取される“原ガス”に含まれるヘリウムはほんの数%に過ぎず、ヘリウムを取り出すためだけに、天然ガスプラントを稼働させることは考えにくいことから、ヘリウム供給の先行きはますます不安視されている。一方、需要は年々増加。

半導体生産に力を入れる中国、韓国との綱引きも激しさを増し、ヘリウム不足の懸念は高まる一方だ。
そんななかで、ZB400が登場した意義は大きい。
だが、末松の顔に笑顔はない。

「状況証拠を積み上げて、偶然見つけた答え。理論的に実証するにはまだ至っていないんです。より良い製品にするために、今後も検証を続けていかないといけない」
革新は、まだ始まったばかりだ。