2014年8月 JEOL RESONANCEは、新型分光計「NMR spectrometer Z(JNM-ECZSシリーズ)」を発売しました。JNM-ECZSシリーズは、ハイエンド機であるJNM-ECZRシリーズとほぼ同等の基本機能と性能を有しながら、分光計はさらなる小型化を実現。主筺体は従来機種の半分以下の大きさです。この世界最小、高性能分光計誕生の裏側を紹介します。

黒い人

ドンッ

机に拳を叩き付ける乾いた音が、廊下に響き渡った。
「どうなってんだ! いったい、どうすんだよ!」
怒鳴り声が会議室の扉をふるわせるが、廊下を行き交う誰の顔にも驚きはない。いつもの(朝礼ならぬ)“夕礼”だった。
声の主、蜂谷健一は2007年の入社。大学院で物性物理学を学び、将来を期待されての入社だった。年中黒いスーツ、黒いシャツで歩き、社内では「黒い人」と呼ばれている。2011年4月、その蜂谷に声がかかった。新しい分光計の開発の指揮をとれという。大抜擢だった。
「それまで他の部門にいたので、分光計はまったくの門外漢。でも、やらない手はなかった」と振り返る。
分光計は、NMRの核となる装置だ。さかんに製品開発が行われるプローブや冷却装置と比べ、開発にかかる人員や予算も5〜10倍の規模になる。
その当時、JEOL RESONANCEの分光計は、2002年のリリース以来10年間、改良を繰り返し、性能を向上させてきた。だが、先進的な分析環境を提供するには限界が近づいており、根本的なアーキテクチャーから見直す必要に迫られていた。「自己顕示欲が並外れて強い」と自認する蜂谷でなくとも、気持ちが奮い立つだろう。

新兵の意地

だが、配属された部屋を見渡して、蜂谷は驚いた。そこにいたのは入社数年の若手がほとんど。当初こそ前機種の開発に携わったベテランもいたが、他のプロジェクトが立ち上がると、次々と引き抜かれていった。
「製品には仕様書や設計図には現れない微妙な調整箇所が多数あって、なぜそうなったのか、その人に聞くしかないということも少なくありませんでした。社内で製造している時代はそれでよかったのですが、いまは積極的に社外のリソースも活用しますから、ハンダ付けの角度に至るまで厳密に仕様書に落とさないといけません。製品の開発と並行して、生産・供給のスキームも全面的に構築しなおさないといけませんでした」

どうやってプロジェクトを率いるべきか。分光計のスペシャリストとは言えない蜂谷に、背中で語って引っ張っていくような芸当はできない。蜂谷は、憎まれ役を買って出ることを決意した。進捗を厳密に管理し、理想のNMRはこうだと声を張り上げ、鬼の形相でスタッフを叱咤激励し、強引に前へ進めていく。まさに“黒鬼”だった。

だが、その勢いは確実に若いスタッフに乗り移った。現行製品を分解して、原案にしたがって改良点を加えて仕様書に落としていく。わからないことがあれば、社内をかけずり回って徹底的に教えを乞う。プロジェクト開始から2年、新兵は一人前の兵士へと成長しつつあった。 「僕自身が研究者あがりで、明確にできないということが許せなかったというのもあります。そのせいでスタッフの残業を増やしてしまいました」

「やるんだよ!」

奮闘が実り、2013年春、プロジェクトは、試作機が姿を見せるまでにこぎ着けた。最新のエレクトロニクスを駆使した結果、性能の向上はもちろんのこと、サイズも半分まで落とされていた。試作機を見た誰もが、「こんなに小さくなるとは」と驚き、喜んだ。 だが、蜂谷がふと発した一言に場の空気が凍り付いた。
「当然、これ世界最小だよね?」
慌てたスタッフがユーザーの元にあるライバル社の装置を実測したところ、一回り小さかった。
「全然おもしろくない!」蜂谷は言葉を荒らげた。
「当社比50%というのと、世界最小といったとき、ユーザーはどちらを選ぶか。答えは明らかです。なんとしても世界最小という冠を付けたかった。それががんばってきたスタッフに報いる一番の方法だと思ったんです」
蜂谷は体積シミュレーションを行い、奥行きを10センチ削れば、世界最小になるとはじき出した。だがスタッフはいっせいに反発した。各ユニットのサイズは、すでにぎりぎりまで削り込んでいる。それをさらに削るとなると、一から考えなおさないといけないユニットも出てくる。「一週間後にもう一度会議をするから、どうやったら小さくできるか検討してきてくれ」と伝える蜂谷は、まったくあきらめてはいなかった。
一週間後、各チームから報告が寄せられた。「1センチ削れます」「数ミリが限度です」「これ以上は絶対に無理です」。案の定、芳しくない。一通り聞き終えた蜂谷は、おもむろに言い放った。
「できるかできないか検討してくれといった覚えはない。聞きたいのは、どうやったらできるかだ。やると言ったらやるんだよ!」
どのスタッフの顔にも、疲労が色濃くにじんでいた。