• 概要

日本電子news Vol.50 No.3 寺内 正己、 佐藤 庸平
東北大学多元物質科学研究所 先端計測開発センター

汎用のSXES装置を用い、Na-SiクラスレートにおけるSi-sp3格子の金属化を示すフェルミ端の観測、NaドープCaB6材料における元素の濃度分布と化学結合状態の相関の観察例を示した。SXESマッピングと観察エネルギーの選択による元素の化学結合状態を反映した価数マッピングの可能性を示した。さらに、我々のオリジナルなSXES分光器を用い、3d遷移金属のL発光に現れる情報がLαとLℓで異なることを示した。

はじめに

機能性ナノ粒子やナノスケール構造を有するデバイスの構造・機能評価においては、電子顕微鏡を用いた分析技術が極めて有効である。とりわけ、機能性評価には分光技術が必須となる。電子顕微鏡での分光技術としては、組成分析に使われるX線分光が最も広く利用されていると思われる。分光方式によりEDS(Energy dispersive X-ray spectroscopy)とWDS(Wavelength dispersive X-ray spectroscopy)がある。組成だけでなく、電子状態の分析が可能な電子エネルギー損失分光法(Electron energy-loss spectroscopy: EELS)やカソードルミネッセンス(Cathodoluminescence: CL、Fig. 1の過程a)も広く利用されている。近年、これらの技術に加え、1 keV程度以下の低エネルギーX線を分光することで化学結合状態情報が得られる軟X線発光分光法(Soft X-ray emission spectroscopy: SXES)が汎用技術として仲間入りした[1, 2]。
物質機能に直結する電子状態分析手法としては、透過型電子顕微鏡法(Transmission electron microscopy: TEM)を用いたEELSが広く普及している。EELSでは、価電子の伝導帯への励起(Fig. 1の過程b)スペクトルから、物質の誘電的性質(バンドギャップエネルギー、バンド間遷移エネルギー、屈折率など)に関する情報を得ることができる。とりわけ、近年のモノクロメーター電子顕微鏡開発の結果、1 nmφ程度のプローブで0.1 eV程度のエネルギー分解能が実現されており、実用材料ナノ粒子の一つ一つから近赤外領域の物性情報が得られる[3]だけでなく、格子振動の情報も得られるようになってきた[4]。また、伝導帯の状態密度の情報を与える内殻電子励起(Fig. 1の過程c)スペクトル測定では、実験スペクトルと汎用ソフトでの計算結果との比較から、局所的な電子状態と局所構造との関連を明らかにする研究が行われている。このようにEELSでは多くの分光学的情報が得られるが、価電子(結合電子)のエネルギー状態を直接的に測定することはできない。これを可能とするのがSXESである。この手法で測定する低エネルギー X線は、価電子が束縛エネルギーの小さな浅い内殻電子準位へと遷移する際に放出される(Fig. 1の過程d)。これを、高エネルギー分解能で分光することで価電子(結合電子)のエネルギー状態の情報を得る。SXESはTEMでも可能である[5]が、強度が弱いことから、プローブ電流の大きなEPMAやSEM用の装置として汎用化された。なお、元素分析には主に高エネルギーのX線を用いている。これは内殻準位間の電子遷移(Fig. 1の過程e)に起因しており、価電子帯の情報は含まれていない。

Fig. 1

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

電子状態の模式図とCL(過程a)、EELS(過程bおよびc)およびX線発光(過程dおよびe)にかかわる電子遷移。 過程d(価電子帯→内殻準位)に伴って発生するX線を高エネルギー分解能で分光すると、価電子(結合電子)のエネルギー状態の情報が得られる。

電子顕微鏡用SXES装置の開発は、TEM用として2000年頃に始まった[6]。最大の問題は、原理的に検出効率が極めて低い手法であるということであった。TEMでは薄片試料を用るため、空間分解能の高い測定が可能であるが、分析する試料体積が小さいため十分なS/Nを得るのに数十分程度以上の時間を要した。そこで、TEMよりも大きな電子ビーム量が得られるEPMAやSEM用の分析装置として汎用化された。TEMに比べ、空間分解能が下がるものの、電流量と分析試料体積の増加により、1分程度で十分なS/Nを得られるようになった。さらには、これまでなかったバルク材料用の状態分析技術として有用な手法となった。これは、薄片試料作製の工程が不要であり、EPMAやSEMでの形態観察やEDSによる元素分布解析をした後で、すぐに状態分析に移行できることを意味している。すなわち、分析EPMA/SEMによる材料開発現場への早いフィードバックが可能となる。
EELSの内殻電子励起スペクトルとSXESスペクトルを組み合わせれば、価電子帯から伝導帯までの状態密度分布を得ることが可能である。さらには、EELSの価電子励起スペクトルのKramers-Kronig解析から、価電子帯から伝導帯への電子励起スペクトルも得ることが可能である。したがって、電子顕微鏡を用いて結晶構造・組成を評価した特定領域から、SXESとEELSにより電子状態を総合的に分析できることが可能となる[5, 7]。
ここでは、汎用化した装置を用いた測定例とその解釈を示すと共に、最近の研究から分かってきた、遷移金属のL発光に含まれる豊富な情報に関しても解説する。

実験装置および実験条件

今回使用した装置の外観をFig. 2に示す。(a)はEPMA(日本電子製 JXA-8230)に装着した汎用SXES(SS-94000SXES)であり、(b)はSEM(日本電子製 JSM-6480LV)に取付けた我々オリジナルの分光器である。共に、収差補正回折格子を用いた斜入射の平面結像型光学系を採用したWDS装置である。
汎用装置(a)は、2つの収差補正回折格子を用い、一次回折光で50 eVから210 eVの範囲、二次回折光まで入れると420 eVまで測定可能である。より高次の回折次数まで観察可能であり、70種以上の元素の信号を得ることができる[8]。今回の測定データは、回折格子JS200N(表面材質:Ni、平均刻線密度:1200本/mm)を用いて得た。検出器は軟X線に感度のある背面照射型CCDを採用している。AlのL発光スペクトルに観察されるフェルミ端(約72 eV)の強度の立上がりが、温度因子kBT(kBはボルツマン因子、300 KにおいてkBTは26 meV)と装置の分解能に依存していることを利用してエネルギー分解能を評価すると、装置分解能0.2 eV程度が得られている。EPMAに装着してあるので、SXESスペクトルマッピング測定により、化学結合状態分布解析が可能である。
オリジナル分光器(b)は、4つの収差補正型回折格子を用い、一次回折光で50 eVから3800 eVの領域を切れ目なくカバーできるように設計されている。今回の測定データは、回折格子JS2000(表面材質:Au、平均刻線密度:2400本/mm)を用いて得た。検出器には、マルチチャネル検出器(MCP)と汎用のCMOSカメラを光学レンズで組合わせたものである。この検出器をフォトンカウントモードで使用すると、Al-L発光のフェルミ端でエネルギー分解能0.08 eVが得られている[9]。測定は、装置(a)、(b)共に加速電圧5 kVで行った。Fig. 2(c)に、汎用装置(a)を用いて測定したAl-L発光スペクトル(価電子:3s → 内殻:2pの遷移に伴う発光)を示す。Al試料の表面は酸化されているが、酸化されていないAlに期待されるシャープなフェルミ端が観察されている。また、L殻(内殻2p準位)のL3準位とL2準位のスピン軌道相互作用による分裂(0.4 eV)も観察できている。5 keVの電子 のAl試料内での広がりをReedの式、d =0.077(Eo1.5-Ec1.5)/ρ(d:電子の広がり(μm)、Eo:加速電圧(kV)、Ec:臨界励起電圧(kV)、 ρ:物質の平均密度(g/cm3))[10]を用いて評価すると0.32 μmとなる。表面酸化層の厚みは10 nm以下なので、バルクの電子状態が測定できていると考えてよい。もちろん、加速電圧を1 kV程度以下まで下げれば表面の酸化層の効果が顕著に表れてくる。Fig. 2(d)に、オリジナル分光器(b)を用いて測定したFeのL発光スペクトルを示す。スペクトル強度は、吸収の影響が少ないLℓ発光(3s → 2p遷移)強度で規格化して示してある。加速電圧により、Lα,β発光スペクトル(価電子:4s,3d → 内殻:2pの遷移に伴う発光)の強度分布が変化しているのが分かる。この原因は、加速電圧が高くなると入射電子が試料のより深い領域まで到達し、そこから発生するX線が表面に到達する前に試料内部で吸収されてしまうことにある。FeのL吸収端はLα発光とLβ発光の間の約707 eVに存在(赤い点線で示した位置)し、これより高エネルギーのX線は吸収を強く受ける。加速電圧を下げれば試料浅部からの発光が支配的になり吸収の影響は小さくできるが、表面の酸化層の影響でO-K信号や金属酸化物の信号成分の割合が増え、バルク試料のデータと異なってくる。上述のReedの式を用い、加速電圧15 kV、5 kV、2 kVにおけるFe試料内での電子の広がりを評価すると、それぞれ0.56 μm、0.10 μm、0.02 μmとなる。これらの経験を踏まえ、吸収の効果が強すぎずかつ表面層の影響が小さい加速電圧として5 kVを選択した。また、低加速電圧での分光実験は、ダメージが受けやすい試料に適している。最近、SXESを用いたアモルファスカーボン材料の電子状態研究において、低加速電圧での分光実験の有用性が確認された[11]。

Fig. 2

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

(a)EPMA(JXA-8230)に装着した汎用SXES(SS-94000SXES)、および、(b)SEM(JSM-6480LV)に取付けたオリジナルの分光器の外観。(c)汎用装置 (a)で測定したAlのL発光スペクトル。 L3準位とL2準位のスピン軌道相互作用による分裂(0.4 eV)が観察できている。(d)オリジナル分光器 (b)を用いて測定したFeのL発光スペクトル。 加速電圧を変えると試料による吸収の影響が変化し、Lβ線の強度が大きく変化している。

Si-L発光:Na8Si46におけるSi-sp3格子の金属化

Fig. 3(a)にNa8Si46(Type-I Na-Siクラスレート)の結晶構造を示す。Na8Si46は、ガスハイドレートの水素結合をSi-Si共有結合に置き換えたsp3混成軌道の作る三次元共有結合ネットワーク構造を有する。Si格子(Si46)中に12面体(Si20)と14面体(Si24)の2種類の多面体ケージ構造が存在する。Si格子そのものは半導体であるが、各ケージの中にNa原子を内包したNa8Si46は、Na原子からSi格子に電子が移動してSi格子の伝導帯入り金属となる[12]。Fig. 3(b)に測定に用いた単結晶のSEM像、(c)にSEM像の中央付近(丸印)から汎用装置(Fig. 2(a))を用いて測定したSi-L発光スペクトルを示す。比較のため、Siウエハ(立方晶Si)のスペクトルも示す。これらスペクトルの強度は価電子帯からSi-L殻への電子遷移に伴う発光であり、双極子遷移則により価電子帯のsとd対称成分を有する電子の状態密度分布を反映する。立方晶Siはsp3混成軌道の作る共有結合からなるダイヤモンド構造を有し、半導体である。
立方晶Siのスペクトルピークに付記されたL2’、L1は、バンド計算との対応を示す電子状態の波数ベクトルを示す記号である。スペクトル強度分布の右端は価電子帯上端に対応し、比較的なめらかな強度分布を示している。これに対し、Na8Si46のスペクトルは、価電子帯上端付近にシャープなピークの存在が明瞭である。それ以外のエネルギー領域は立方晶Siの強度分布と特徴が似ており、同じsp3混成軌道で4配位の構造であることに由来していると考えられる。理論計算との対応から、価電子帯上端のピーク構造は、Si格子とSiケージ中のNa原子との結合状態に対応すると考えられる[13]。さらにスペクトルの右端付近を拡大してみると(Fig. 3(d))、縦線で示した位置に0.2 - 0.3 eVの急峻な強度変化の存在が分かる。エネルギー分解能と同程度であることから、この物質が金属であることを示すFermi端構造と同定できる。

Fig. 3

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

(a)Na8Si46 (Type-I Na-Siクラスレート)の結晶構造、(b)測定に用いたNa8Si46単結晶のSEM像。(c)汎用装置(図2(a))で測定したNa8Si46および立方晶SiのSi-L発光スペクトル。価電子帯上端に大きな差異が存在する。(c)Na8Si46のスペクトルの上端付近。金属であることを反映したフェルミ端(縦線)が見られる。

B-K発光:NaドープCaB6の電子状態マッピング

CaB6は、B6正八面体クラスターが単位胞(立方体)の頂点に、体心位置にCa原子が配置した構造を有している(Fig. 4(a))。CaB6は、 Ca原子からB6クラスターネットワークへ電子が2個移動してボロンの価電子帯が満たされ、n型半導体となる。熱電変換材料への応用が目指されてきた[14]。最近、Caより価電子が1つ少ないNaでCaを置換する(ホールドープ)することでp型の特性が得られることが報告された[15]。EDS測定から、Naが数%含まれていることが確認されている。
Fig. 4(b)にNaドープCaB6バルク試料の二次電子像(SE image)、(c)に後方散乱電子像(BSE image)を示す。二次電子像の左上部分の表面が他の部分と異なることが分かる。この領域からは炭素が検出されており、不純物相の可能性がある。その他の領域は、SE像からは特段の変化は確認できない。一方、組成情報を含むBSE像をみると、明らかに強度の異なる領域が中央に存在している。そこで、汎用装置(Fig. 2(a))を用いてスペクトルマッピング測定を行った。測定後にエネルギー領域を選択して作成した(d)Ca-Lℓ,η発光強度(150-154 eV)の分布図、(e)B-K発光強度(170-188 eV)の分布図、(f)B-K発光の上端部分(187-188 eV)の強度分布図を示す。Ca-Lℓ,η発光強度の分布図(d)から、BSE像で暗い領域ではCa量が少ないことが分かる。この領域はドープしたNaの濃度が高いと予想されるが、残念ながら本システムではNa原子のスペクトル信号を得ることはできない。B-K発光強度の分布図(e)には、Ca量が少ない領域で顕著な強度変化は見られない。しかしながら、B-K発光の上端部分の強度分布図(f)を見ると、Ca量が少ない領域で強度が大きいことが明瞭である。そこで、Fig. 5(f)中に示した、Ca量の少ない場所Aとそうでない場所BのスペクトルをFig. 6に示す。比較すると、強度分布に差(電子状態の差)があると同時に、スペクトルのピーク位置(矢印)と上端の位置(縦線)が、Ca量の少ない領域では高エネルギー側に0.7 eV程度ずれている。すなわち、同じエネルギー窓(187-188 eV)の強度分布では、スペクトルが高エネルギー側にシフトしているCa量が少ない領域の強度がより大きくなる。このエネルギーシフトは、B格子の価電子数が僅かに減少し、その影響でBのK殻の束縛エネルギーが大きくなった(ケミカルシフト)ことが原因と考えられる。B-K発光は、価電子帯からK殻(1s)への電子遷移に伴う発光であり、K殻のケミカルシフトの影響がFig. 4(f)の強度分布の主な原因と考えられる。価電子数減少の原因としては、CaのNa置換によるホールドープを期待するものの、不純物酸素の可能性も否定できない。Fig. 5のスペクトルAの175 eV付近の小さな強度は、 O-K発光の三次線の可能性がある。この実験結果は、高エネルギー分解能での軟X線スペクトルマッピングと適切なエネルギー選択により、元素信号だけではなく、元素の化学結合状態を反映した価数のマッピングが可能であることを示している。

Fig. 4

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

(a)CaB6の結晶構造。B6正八面体クラスターが単位胞(立方晶)の頂点に、体心位置にCa原子が配置している。 (b)NaドープCaB6バルク試料の二次電子像、(c)後方散乱電子像、汎用装置(Fig. 2(a))で測定したスペクトルマッピングデータから抽出した(d)Ca-Lℓ,η発光強度(150-154 eV)分布図、 (e)B-K発光強度(170-188 eV)分布図、(f)B-K発光の上端部分(187-188 eV)の強度分布図。

Fig. 5

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

Fig. 4(f)中のA、Bの領域のB-K発光スペクトル。Fig. 4(f)においてCa量の少ない領域で強度が大きいのは、ケミカルシフトが原因と考えられる。

3d遷移金属元素L発光スペクトルの情報

3d遷移金属元素の価数変化はLi二次電池の充放電の源であり、価数のみならずその電子状態(周りの元素とどのように結合しているか)の測定は重要なテーマである。3d遷移金属元素の価電子帯を形成する3d、4s電子のエネルギー状態の情報は、L発光スペクトルに含まれている。現状の汎用機では一次回折光の測定はできない(近いうちに可能となる)が、Fig. 2(b)のオリジナル分光器ならば測定可能である。ここでは、TiとTi酸化物から測定したTi-L発光スペクトル[16]、および、Feとその酸化物のFe-L発光スペクトルを用い、どのような情報が含まれているかを示す。L発光スペクトルにはLα、 Lβ、L、Lηの4種類がある。Lα、Lβ発光は、それぞれ3d → L3、 3d → L2の電子遷移に対応し、価電子(3d)の情報を含んでいる。一方、L、Lη発光は、浅い内殻準位Μ1からより深い内殻準位L3、L2への電子遷移により生じている。すなわち、L,η発光にはLα,βとは異なる情報が含まれている。Fig. 6に、3d遷移金属の電子状態の模式図と、Lα,βに伴う電子遷移、L,η発光に伴う電子遷移を示す。 M2,3からL2,3への遷移は、双極子遷移則により禁制となっている。
Fig. 7に、オリジナル分光器(Fig. 2(b))を用いて測定した金属Ti、最近報告された新しいTi酸化物ε-TiO[17]、ルチルTiO2の(a)Lα,β発光スペクトル、(b)L,η発光スペクトルを示す。Lα,βのスペクトル強度分布が物質により異なっていることが分かる。これは、それぞれの物質中のTi原子とその周りの原子との結合状態の違いを反映している。TiO2は、イオンモデルではTi4+O2-2と書かれる。Ti4+の電子配置は[Ar]3d04s0であり、3d電子が無いためL発光は生じえない。しかし、実験ではスペクトル強度が観測されており、T-Oの共有結合性により3d電子がTiサイトにあることを示している。Ti酸化物のLα,βスペクトルの強度分布とその位置を正確に議論するためには、バンドギャップエネルギーと内殻準位のケミカルシフトを考慮する必要がある。しかし、LαとLβの強度分布が重なっていることに加え、LαとLβの間にL吸収端が存在するため解析は簡単ではない。L発光は内殻準位間の電子遷移に伴う発光のためその強度分布は単純であり、そのピーク位置ならば議論しやすい。
TiO2のLαピーク位置は、金属TiのLαピークに比べ約2 eV低エネルギー側に位置している。一方、Lピークは金属Tiに比べ約0.7 eV高エネルギー側に位置している。一方、ε-TiOのLピーク位置は、金属Tiとほぼ同じである。Fig. 7(c)に示した金属Feと酸化物のスペクトルを見ると、酸化物のLαピークは明らかに金属Feより高エネルギー側にシフトしているが、Lピークは金属も酸化物もほぼ同じエネルギー位置に見える。詳しく調べると、Fe2O3のLが僅か(0.2 eV程度)高エネルギーにずれている。このように、LαとLは異なるシフトを示す。なお、強度比Lβ/Lαが酸化物で大きくなるのは、Auger過程の一種であるCoster-Kronig過程が酸化物では抑制されているためと思われる[18]。
これらのL発光スペクトルに含まれる情報を議論するには、光電子分光におけるケミカルシフトの議論を用いると分かりやすい。詳しくは文献[16]に述べてあるので、結論だけを言うと、1) Lα発光強度分布の違いは、価数変化に伴う内殻準位エネルギーの変化と価電子帯の状態密度分布の変化、2) Lピーク位置の変化は、終状態における緩和効果(終状態でのM1殻ホールによる励起原子周りの緩和現象)となる。1) はこれまで述べてきた通りである。2) を確認するため、汎用の第一原理計算プログラムWIEN2kを用い、Lピーク位置に現れる緩和効果(終状態のコアホール効果)の評価を行った。
金属TiとTiO2、および、金属FeとFe2O3の緩和効果の差は、それぞれ0.64 eV、0.2 eVと評価された。これらの値は、Lピーク位置のずれの値0.7 eV(金属TiとTiO2の差)、0.2 eV(金属FeとFe2O3の差)をよく再現した。この緩和効果は、物質の誘電的性質やバンドギャップエネルギーとの関連が議論されている[19, 20]。

Fig. 6

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

3d遷移金属元素のエネルギー準位模式図と、Lα,β発光およびLℓ,η発光に伴う電子遷移。

Fig. 7

軟X線発光分光法(SXES)を用いた化学結合状態分析

オリジナル分光器(Fig. 2(b))で測定した、金属Ti、ε-TiO、ルチルTiO2のLα,β発光スペクトル(a)、Lℓ,η発光スペクトル(b)、および、鉄、Fe3O4、Fe2O3から得た(c)Fe-L発光スペクトル。

まとめ

最近汎用化したSXES装置を用い、バルク試料の電子状態評価が行えるようになってきた。高い空間分解能で物性を詳細に議論するにはTEM-EELSに勝るものはないが、EPMA/SEM-SXESでは薄片試料を作製する必要がないため、材料開発において分光評価情報の迅速なフィードバックを可能とする。実用材料の評価だけでなく基礎科学の分野における合成物質の迅速な評価にも役に立つと思われる。さらには、遷移金属の発光に含まれる情報を汎用装置で得られるようになれば、ますます応用範囲が広がると思われる。この分析システムが、新機能材料や新素材開発現場での新たな評価技術として新たな情報を提供し、物質開発に貢献することを期待している。

謝辞

Na-Siクラスレートは東北大金研の森戸春彦博士との共同研究である。NaドープCaB6については、長岡技術科学大学の武田雅敏博士との共同研究である。遷移金属元素のL発光に関する内殻準位シフトの評価は、物質・材料研究機構の越谷翔悟博士、木本浩司博士との共同研究である。なお、これらの研究の一部は物質・デバイス領域共同研究拠点:人・環境と物質をつなぐイノベーション創出ダイナミック・アライアンスの支援のもと行われた。

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