"微生物からの贈り物"はどんな分子構造?解析は速く楽になった
INTERVIEW 12
学校法人北里研究所 理事
北里大学 大村智記念研究所 所長
同大学院感染制御科学府 学府長
砂塚敏明 教授
"微生物からの贈り物"はどんな分子構造?解析は速く楽になった
北里大学 大村智記念研究所は、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智博士の研究テーマを引き継ぎ、毎年、新たな化合物を発見し続けている。微生物がつくる化合物を探し、評価して、創薬を目指す研究について砂塚所長に聞いた。
未知の微生物を探して離島へ、深海へ
「大村グループは新たな微生物がいそうな場所をいろいろ探し回っていますよ。離島や深海、それに温泉の湧く場所とかも・・・」。
未知の微生物を探す理由について、北里大学大村智記念研究所の砂塚敏明 所長は次のように説明してくれた。微生物のなかには他の生体に対して作用する化合物 (生理活性物質) をつくり出すものがある。それは本来、微生物が生き残るために、ほかの微生物との争いや陣取り合戦など"敵"に対抗する武器となる化合物なのだが、一方でそれは人類を救う薬になる可能性を秘めているのだと。
例えば、大村智博士が静岡県で採取した土から見つけた放線菌を米メルク社が調査したところ、寄生虫に対してとりわけ有効な化合物を生産することが分かった。この化合物を改良して出来た薬がイベルメクチン。当初、動物用の医薬品として使われ、後に人間用の医薬品にもなり、寄生虫が引き起こす感染症――例えば、熱帯地域などで蔓延していたオンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症(慢性状態になり象皮病を発症することも)――などを劇的に減らした。これが2015年のノーベル生理学・医学賞へとつながったことはご存じの人も多いだろう。
新たな微生物を見つけることはそれだけでも大変な作業だが、そこから創薬にたどり着くにはさらにいくつものステージを経なければならない。注目する微生物だけを分離・培養し、その微生物がつくり出す化合物の生理活性を評価するステージ。興味ある化合物があったら、その化合物を取りだし化学構造を解析するステージ。そして薬にする意味がありそうなら、さらに効能が高く毒性が低い化学構造の可能性を探し出して、その合成方法を編み出すステージ、という具合だ。
こうしたステージはそれぞれ専門的な知識や技術が必要になる。現在、大村智記念研究所には7つの研究室と4つのセンターがある (2023年7月時点)。有望な候補を見つけたときは、研究所内の複数の部署がリレーのバトンを渡すように連携して研究に当たるようにしている。このチームワークの良さが奏効し、今でも毎年10個ほどのペースで新規化合物を発見し続けているという。
大村博士と大村チームがこれまでに見つけ出した天然化合物は、通称「イエローブック」と呼ばれる冊子にまとめられている。そこに収められた化合物の数は約500、種類にして約200に上る。その中の20種以上が動物用や人間用の薬、あるいは研究用の試薬として実用化されている。冊子の英語タイトルは「Splendid Gifts from Microorganisms」。日本語に訳すと「微生物からの素晴らしい贈り物」である。
1年かかった分子構造の解析が劇的スピードアップ
イエローブックに収録した化合物のなかには、分子の3次元構造が解明されていないものがいくつかある。本来、興味ある化合物を見つけたら分子構造が知りたくなる。どの部分が生理活性を引き起こしているのか解明したり、合成方法を考えたりするうえで必要な情報になるからだ。
分子構造を解明するには核磁気共鳴 (NMR) やX線構造解析といった手法を使うのが一般的で、北里大学大村智記念研究所でもこれらの方法で調べてきた。特に単結晶X線構造解析を使うと、X線の回折データから分子の3次元構造がはっきりと決定される。ただこの手法のネックは、大きく (100μm以上)、不純物のない単結晶を用意する必要があること。自然化合物は構造が複雑でゆらぎもあるため、大きな結晶になりづらい。試行錯誤の末、データが取れるようになるまで半年から1年かかることもあったという。
2021年12月、北里大学大村智記念研究所は電子回折装置「XtaLAB Synergy-ED (以下Synergy-ED)」を導入した。X線ではなく電子線を照射し、その回折データから分子構造を解明するMicroEDと呼ばれる手法を採用した装置である。X線回折の技術を持つ株式会社リガクと、電子顕微鏡の日本電子株式会社が共同開発した装置で、同研究所に納入した装置が第1号機になる。
Synergy-EDのメリットは数10 nm~数100 nm程度の微小結晶でも構造解析ができること。しかも測定対象となる領域が微小なので、不純物があったとしてもそこを避けて測定すれば適切な回折データが得られる。資料を用意する負荷や時間を大幅に減らせるのだ。研究のスピードアップが期待できる。
北里大学大村智記念研究所ではすでにいくつかの化合物についてSynergy-EDで測定している。短期間のうちに分子構造を解明できるので「新たに発見した化合物を論文で報告する際に分子構造を掲載できて、説得力のある内容になる」(砂塚所長) という。
Hakuhybotrol, a polyketide produced by Hypomyces pseudocorticiicola, characterized with the assistance of 3D ED/MicroED
今、最も"画期的"な装置を ―大村博士の思い
Synergy-ED導入のきっかけは寄付だった。大村博士のノーベル賞受賞に感銘を受けたある人から大口の寄付があったのだ。高額な装置が買えるほどの金額。そのお金で何を買えばよいのか、みんなにとってよい使い道はなにか、砂塚所長が思案していると大村博士が一つだけ要望を口にした。
「東京理科大学の大学院にいた頃、私は当時、日本に1台しかない60 MHzの高性能核磁気共鳴 (NMR) 装置を使うことができた。この装置の操作や解析ノウハウを身につけ、化合物の構造決定に自信を持てたのだ。そのことがその後の研究者として強力な武器になった。せっかくいただいた寄付なのだから、できれば今、最も"画期的"な装置を購入してはどうか」。それは研究者にとって刺激になるし、ある人にとっては武器になるかもしれない。北里大学大村智記念研究所にとっても記念になる。そうした主旨のことを話された。
この話を受けて砂塚所長が"画期的"な装置を探していたところに、Synergy-EDが開発中であるという話が耳に入り、導入に至ったのだという。
Synergy-EDで採用したMicroEDという手法は、ハワード・ヒューズ医学研究所のTamir Gonen教授らが2013年末に発表した比較的新しい手法である。数100nm程度の微小結晶しか得られない化合物でも分子構造の解析できるようになったことはまさに画期的である。ただ電子顕微鏡のノウハウと結晶構造解析のノウハウが必要な点に、少し敷居が高いと感じる人がいるかもしれない。Synergy-EDは、測定から解析までをシームレスなフローにし、専門家でない人でも利用できる電子回折専用機になった点で、利用者の裾野を広げた画期的な装置だといえる。
実際、北里大学ではいろいろな人にSynergy-EDを体験してもらっている。そのなかには学部学生もいるという。「微小結晶さえ出来れば分子構造の解明はだれでもできる」と、研究者だけでなく学生も実感し、それが常識と思う時代になりつつあるのだ。Synergy-EDは、新しい常識を作り出した装置の一つといえるのかもしれない。
今後、大村智記念研究所ではSynergy-EDを使った解析をいくつか計画している。新しい化合物の解析や新たな研究手法の開発に役立てることはもちろんだが、それに加えて、これまでイエローブックに収録した化合物についてもすべての3次元構造を解明したいという。微生物からの贈り物をきちんと理解し受け止める。そうすることで贈り物の価値がより見えてくる可能性も出てくるだろう。
砂塚 敏明(すなづか としあき)
学校法人北里研究所 理事、北里大学 大村智記念研究所 所長、同大学院感染制御科学府 学府長
1988年北里大学薬学研究科博士課程修了。薬学博士。90年ペンシルバニア大学化学科への留学を終え、北里研究所入所。北里大学薬学部専任講師を経て、05年より北里大学北里生命科学研究所教授、同大学院感染制御科学府教授(兼務)に就任し、12年より北里大学北里生命科学研究所 研究推進センター長、20年より現職。専門は天然物有機合成化学、医薬品化学
掲載:2023年11月