• 概要

Ag SALDIを用いたイメージング質量分析とXPSによる分析深さの測定 日本電子株式会社 MS事業ユニット

有機物の表面分析では、高い空間分解能でマッピングできる2次イオン質量分析法(SIMS)がよく利用される。しかしSIMS分析は、イオンビーム照射により有機分子内の共有結合の開裂が起こるため、得られるマススペクトルは部分構造由来の信号が多数となる。よって、そこから得られる情報としては有機分子の部分構造に関するものが主となるためデータの解釈が煩雑となる。近年、有機物分子を開裂することなくそのままイオンとして生成できるマトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)や表面支援レーザー脱離イオン化(SALDI)を用いたイメージング質量分析法(IMS)の技術開発が進んでいる。MALDI-IMSやSALDI-IMSは、有機物の混合試料の分子量情報を使ってマッピングできるため[1] 、表面分析への応用が期待される。MALDI-IMSは、イオン化促進剤としてマトリックス溶液を試料表面に噴霧して結晶化させるため、溶媒による試料表面の状態や局在情報の変化やマトリックス結晶の大きさのばらつきによるイオン強度のばらつきが生じる。結果として平面方向の分解能が低下するだけでなく、分析深さの議論も行いにくい。一方SALDI-IMSは、イオン化促進のための金属微粒子を10 nm程度の厚みで試料表面に均一に分布させるので、MALDI-IMSに比べ平面方向の分解能の向上や分析深さに関する知見が得られることが期待できる。本報告では、厚さの異なる2層有機薄膜試料を作成し、その表面に真空蒸着法で銀微粒子を分布させるAg SALDI-IMSを用いたマッピングを行い、分析深さを検討した(Fig.1)。また比較として、同試料をX線光電子分光法(XPS)を用いて分析深さの測定を行った。

【測定装置1:JMS-S3000 “SpiralTOF

JMS-S3000 “SpiralTOF (Fig.2a)は、4つの階層状扇形電場(Fig.2b)により形成した総飛行距離17mの8の字らせん型のイオン軌道をもつ飛行時間質量分析計(TOFMS)であり[2]、MALDIやSALDIでイオン化した試料の測定が可能である。TOFMSの質量分解能は総飛行距離に比例するため、飛行距離 数mのリフレクトロンTOFMSの5-10倍の飛行距離を有するSpiralTOF™は、世界最高の質量分解能を有している。またイオン軌道を形成している扇形電場により、飛行中に開裂したイオンを排除することができるため、夾雑ピークの影響が少なく、微量成分の検出も容易である。これらの特長は、夾雑成分も含めて多くの有機物が混合した試料表面の分析でも有利である。

Principle of Ag SALDI.
Fig.1 Principle of Ag SALDI.



JMS-S3000 “SpiralTOF” and spiral ion trajectory.
Fig.2 a) JMS-S3000 “SpiralTOF™” and b)spiral ion trajectory.

【 測定装置2:JPS-9030】

JPS-9030(Fig.3) は、X線を試料表面に照射し、発生する光電子のエネルギーを分析することで試料表面の構成元素、化学結合状態を得ることができるX線光電分光装置(XPS)である(Fig.4)。また、イオンエッチングと組み合わせることにより、試料の深さ方向の元素分布や化学結合状態の分布を調べることが可能である。近年ではガスクラスターイオンビーム装置を用いてイオンエッチングすることにより、無機物だけでなく、イオンエッチングにより損傷を受けやすいポリマーなどの有機物に対する低損傷な深さ方向分析も可能となった。
JPS-9030 X-ray photoelectron Spectrometer
Fig.3 JPS-9030 X-ray photoelectron Spectrometer.

Principle of X-ray photo-electron Spectroscopy
Fig.4 Principle of X-ray photo-electron Spectroscopy.

【試料の準備:2層有機薄膜】

Diagram of 1010/3114
Fig.5 Diagram of 1010/3114

試料として酸化防止剤であるBASF社製IRGANOX 1010(C73H108O12) とIRGANOX 3114 (C48H69N3O6) の2層膜を以下の手順で作成した(Fig. 5)。シリコンウェハ上にIRGANOX 3114を150 nm真空蒸着し、その半分にさらにIRGANOX 1010を真空蒸着を行った。 IRGANOX 1010 の厚みは、10、50、100 nmの3種類とした。
この2層膜サンプルを1010/3114と呼ぶ。IRGANOX 1010が蒸着されている層をRegion1、蒸着されていない層をRegion2とする。SALDIの前処理として銀を真空蒸着した。試料表面を確認するためにFE-SEM JSM-7610F (Fig.6a)を用いた。二次電子像の観察条件は加速電圧5 kVである。その結果をFig.6bに示す。灰色部分が銀であり、蒸着銀粒子が島状に分布しており、MS分析に用いるレーザー径20 μmより十分小さく均一に分布していることがわかる。

JSM-7610F and SEM image of Ag-NP deposited on sample surface.
Fig.6 a) JSM-7610F and b) SEM image of Ag-NP deposited on sample surface.

【実験】

SALDI-IMSとXPSを用いて、2層有機薄膜を測定した。それぞれの測定条件をTable1に示す。XPSによる分析では、クラスターイオンを用いたイオンエッチングにより、表面から10 nmずつエッチングを施し、Si基板の信号が現れるまで分析を行った。

Table1 Measurement condition of SALDI-IMS and XPS
Measurement condition of SALDI-IMS and XPS

【結果と考察】

1.MS分析

IRGANOX 1010の厚みが10、50、100 nmの試料を用いたマッピングの結果をFig.7に示す。 Fig. 7a-cは、IRGANOX 1010とIRGANOX 3114 (ともに分子の銀付加イオン)のマスイメージである。各マスイメージの横方向中央付近、 IRGANOX 1010のイオンが消失する位置がRegion1と2の境界である。Fig.7dにIRGANOX 3114のマスイメージから、中央付近を横切るラインプロファイルを作成し示す。ラインプロファイル作成位置は、Fig.7aに赤点線で示した。ラインプロファイルのイオン強度は、領域2のイオン強度の平均値が1となるように規格化した。ラインプロファイルをみるとRegion1下層のIRGANOX 3114のイオン強度は、10、50 nmと層の厚みが増すにしがたい減少し、100 nmでは信号が観測されなかった。すなわちAg SALDI-IMSの、試料表面からの分析深さは 50~100 nmであることが分かる。言い換えれば、Ag SALDI-IMSは試料表面から50~100 nm程度の厚みの平均的な情報が得られるということである。これは次項でのべる最表面分析が可能なXPSと比較すると分析深さが大きいといえる。


Fig.7 Mass images of silver adduct ions for 1010/3114 acquired using Ag-NP SALDI-IMS (a-c).
The line profile of silver adduct ions of IRGANOX 3114 are also shown(d).

2.XPS分析

Fig.8 Depth profiling for 1010(50 nm)/3114 (150 nm) using XPS with GCIB.

次にXPSを用いて、IRGANOX 1010の厚みが50 nm、 IRGANOX 3114の厚みが150 nmの1010/3114 に対して、GCIBを用いて深さ方向分析を行った結果をFig.8に示す。同試料に含まれるC、N、O、Siの深さ方向分析結果から、約4分のイオンエッチングによりシリコンウエハのSiに達したことがわかる。また、 IRGANOX 3114にのみ含まれるNに着目することにより、 IRGANOX 1010とIRGANOX 3114各層の識別が可能である。 XPSでは、構成元素比が変われば、10 nm程度の深さ分解能で2層膜の界面をよく識別できた。この結果から、XPSによる深さ分析は、Ag SALDI-IMSでは平均的な情報となってしまう50 nm以下の厚みでもその詳細な構造を分析することが可能であることがわかる。一方、XPSは元素または原子の結合状態を識別するする分析装置であるため構成元素比の違いが小さい有機化合物の混合物の変化は分子構造を識別できるAg SALDI-IMSの方が有利であると考えられる。

まとめ

  • 銀蒸着法を用いたSALDI-IMSの場合、分析深さは50~100 nmであることが分かった。
  • 銀蒸着法を用いたSALDI-IMSによる分析結果と10 nmの深さ分解能をもつXPSの分析結果を組み合わせることで有機化合物の同定と構造解析を詳細に行うことができた。

謝辞

本実験を実施するにあたり、有機薄膜試料を提供いただきました京都大学大学院工学研究科松尾先生、藤井先生に感謝いたします。

参考文献

  1. Takaya Satoh et al., Accepted to Journal of Surface Analysis
  2. JEOL NEWS Vol. 42, p. 27-30, 2010
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