CRAFT for Delta Ver. 1.1 —背景とユーザーインターフェイスの紹介—
NM190001
CRAFT (Complete Reduction to Amplitude Frequency Table) [1] は、測定されたNMRの時間領域データ (FID) を、ベイジアン解析 [2] に基づき、各成分の周波数 (frequency) および振幅 (amplitude) から構成されるスプレッドシートへと直接変換する新しい高分解能NMRデータの解析コンセプトです (Figure 1)。通常の高分解能NMRデータの分析では、ウインドウ関数処理、位相補正、ベースライン補正、フーリエ変換などをおこなうことでFIDから周波数スペクトルに変換し、積分などをおこなうことで周波数スペクトルから定量的な情報へと変換します。CRAFTは、これらの従来法に置き換わる処理として活用することができます。
Delta NMR software Ver. 5.3.1では、CRAFT分析のユーザーインターフェイスが実装されました。本ノートでは、CRAFTの背景とDelta NMR software Ver. 5.3.1におけるCRAFT for Delta Ver. 1.1のユーザーインターフェイスを紹介します。

Figure 1. CRAFTのコンセプト。測定されたNMRの時間領域データ (FID) から各成分の周波数 (frequency) および振幅 (amplitude) のスプレッドシートへと直接変換する。同時に視覚的な情報として再構成スペクトルを提供する。
CRAFTの背景 [1]
CRAFTにおけるFIDからスプレッドシートへと変換する流れをFigure 2に示します。CRAFTでは、まずはFIDからデジタルフィルターを用いて、周波数分割されたFID (sub-FID) へと変換します。これらそれぞれのsub-FID に対して文献番号2のベイジアン解析を並列的に実施します。CRAFTでは、FIDに対して複数の指数減衰波の重ね合わせをモデルとして用います。そのため、ベイジアン解析では、各sub-FIDを構成する各周波数成分(=指数減衰波)の周波数、振幅、指数減衰の減衰率、および位相を推定します。CRAFTでは、これらに加え、sub-FIDに含まれる周波数成分の数を推定します。このため、一般的なスペクトルデコンボリューションのように初期条件としてあたえる周波数成分数に分析結果が依存しにくいという利点があります。CRAFTの分析結果として得られるスプレッドシートは、各sub-FIDにおいて推定された周波数および振幅をセグメント幅のパラメータを用いて要約した値です(セグメントの概念は後で説明します)。
指数減衰波をフーリエ変換することでローレンツ型の信号が得られます (Figure 3) 。ここで時間領域データにおける指数減衰波の振幅は、周波数スペクトルにおける無限の積分範囲の積分値に対応します。そのため、CRAFTにおける振幅の情報は、定量情報として扱うことができます。
CRAFTは、スプレットシートに加えて再構成スペクトルを提供します。これはスプレッドシートを用いることで定量的な解釈をおこなうことができますが、視覚的にスペクトルを理解するためには周波数スペクトルが分かりやすいためです。加えて、CRAFTは、再構成したFIDと元のFID との残差を周波数データとして表示します。この残差からCRAFTによるモデルが実験データと一致しているかを解釈することができます。

Figure 2. CRAFTのワークフロー。測定によって得られたFIDは、デジタルフィルタによってsub-FIDに変換される。ベイジアン解析から各周波数成分の周波数および振幅から構成されるスプレッドシートを作成する。視覚的情報として再構成スペクトルを作成する。

Figure 3. 指数減衰波の時間領域および周波領域での比較。指数減衰波は、フーリエ変換することでローレンツ型の信号に変換される。指数減衰波の振幅は、ローレンツ信号の面積値に相当する。
CRAFT of Delta Ver. 1.1 —Delta softwareにCRAFTが実装されました—
Delta NMR software Ver. 5.3.1では、CRAFT分析のユーザーインターフェイスが実装されました (CRAFT for Delta Ver. 1.1)。新しく導入されたCRAFT toolを起動し、時間領域データを開くことでCRAFTが実行可能になります。周波数成分は、セグメント毎に統合され、セグメントの周波数および振幅から構成されるスプレッドシートとして報告されます。セグメント幅の設定には、"Segment width" のパラメータを変更します。セグメントの概念は後で説明します。
Indometacin の1H NMRスペクトルのCRAFTによる分析例をFigure 4 に示します。"Segment width" は5 Hzに設定しました (Figure 4(a))。CRAFTの結果をFigure 4(b) に示します。右側にスプレッドシート,左側にはCRAFTの再構成スペクトル(緑),実測スペクトル(青),およびCRAFTと実測データの残差(茶)が表示されます。残差はほとんどなく、CRAFTモデルが実験データをよく一致していることが確認できました。
ここでセグメントの概念を紹介します。セグメントは、有限の周波数範囲をもつ周波数窓です。この周波数窓に含まれる周波数成分は、ひとつの周波数成分として統合されます。たとえばこのような統合が必要になるのは、スピン-スピン結合による信号の多重線です。分析者が興味があるのは個々のローレンツ信号の振幅ではなく、スピン単位での多重線単位での振幅です。"Segment width" を設定すると、その周波数より小さい周波数範囲にある周波数成分は一つのセグメントとして統合されます。

Figure 4. CRAFT for Delta Ver. 1.1のユーザーインターフェイス。(a) 分析前に"Segment width" の設定を変更する。(b) 右側にスプレッドシート,左側にはCRAFTの再構成スペクトル(緑),実測スペクトル(青),およびCRAFTと実測データの残差(茶)が表示される。
ユーザーは、任意のセグメント範囲を設定することができます。この機能は "Fingerprint" とよばれ、特にどの多重線がどの分子のどのスピンであるかが既知である場合効果的です。Figure 5 にアミノ酸混合溶液 (glycine (Gly), arginine (Arg), alanine (Ala), およびtrimethylsilyl propanoic acid (TSP)) のCRAFTによる解析例を示します。ここでは、各スピンに対してセグメントを設定し、分子と構造の帰属情報(各分子のフィンガープリント)をあらかじめ設定しました (Figure 5(a))。フィンガープリントを設定した時のCRAFTの結果をFigure 5(b) に示します。スプレッドシートは、フィンガープリントに基づいて作成されるため、より化学的に解釈しやすい情報になります。フィンガープリント機能は混合物のスペクトルから定量情報を抽出するのに役に立ちます。

Figure 5. CRAFT for Delta Ver. 1.1におけるフィンガープリントの設定。(a) ユーザーが任意にセグメントを設定し、セグメントに対する分子およびスピンの帰属を与える(右テーブル,フィンガープリント機能)。(b) フィンガープリントに基づいてフィンガープリントが作成される。
参考文献
- Krishnamurthy; K., Magn. Reson. Chem. (2013) 51, 821–829.
- Bretthorst; G. L., J. Magn. Reson. (1990) 88, 533–551., Bretthorst; G. L., J. Magn. Reson. (1990) 88, 552–570., Bretthorst; G. L., J. Magn. Reson. (1990) 88, 571–595., Bretthorst; G. L., J. Magn. Reson. (1991) 93, 369–394., Bretthorst; G. L., J. Magn. Reson. (1992) 98, 501–523.
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