BIPパルス (Broadband Inversion Pulse)
NM220012
はじめに
近年の高磁場NMRにおいて、13Cなどの広い化学シフト幅を持つ核の全ての信号を通常の矩形波パルスによって励起することは難しくなってきた。その問題を解決するために広帯域パルスと呼ばれる技術が開発されてきた。広帯域パルスは現在使用されている多くのパルスシーケンスの多くに組み込まれており、現代のNMRにおいて重要な要素の一つと言える。本アプリケーションノートでは広帯域パルスの一つ、BIP (Broadband Inversion Pulse) について説明する。
BIPパルス
BIPパルス (Broadband Inversion Pulse) はNMRの黎明期より用いられている90y-180x-90yコンポジットパルスの位相の変化を細かく滑らかにすることでよりよい励起プロファイルを達成したパルスであり、inversionパルスとして機能する (Fig. 1)。位相の変化はMonte-Carlo法によるsimulationにより決定され、パルスの時間の中心に対して偶関数となっており2, 4, 6次の関数でよく近似される。矩形波inversionパルスおよび最初期に開発されたBIPパルス、BIP360_20_10の励起プロファイルをFig.2 に示す。矩形波inversionパルスと比較して励起プロファイルが優れていることが分かる。また、BIPパルスは通常ラジオ波強度がB1=20 kHzとなるように設計されており、プローブに照射可能な最大ラジオ波強度より弱めのパワーでラジオ波を照射するように設計されている。BIPパルスは特にラジオ波強度のずれへの耐久性が高く、多少ラジオ波強度がずれても十分にinversionパルスとして機能する場合が多い。

Figure 1 90y-180x-90yパルス (Orange) およびBIP360_20_10パルス (Red) の位相の時間変化を示す。
90y-180x-90yパルスの位相を滑らかにすることでBIPパルスが作成されている。


Figure 2 矩形波inversionパルス (a) およびBIP360_20_10 (b) の位相の時間変化および各励起プロファイルを示す。
ラジオ波強度はそれぞれ25 kHz、20 kHz、パルス幅は20 us、50 usとなっている。励起プロファイルについて、横軸は励起中心から±100 kHzの励起範囲、縦軸はラジオ波強度を指し、B1=25 kHzの0.55倍-1.45倍についてシミュレーションを行い、90%以上の効率で励起されている部分が着色されている。BIPパルスは矩形波inversionパルスと比較して励起範囲が広く、ラジオ波強度のずれへの耐久性も高い。
BIPパルスの種類
弊社NMR制御用softwareのDelta (ver.6.0以降) にはTable 1 に示す12種類のBIPパルスを搭載している。それぞれにはBIPx_y_zという名前が付けられており、xはパルス幅 (deg) 、yは励起範囲 (%B1) 、zはラジオ波強度のずれへの耐久性 (%B1) を示す。例えばBIP720_25_40であれば、ラジオ波強度はB1=20 kHzであるため、パルス幅は720/360/20 (kHz)=100 us、励起範囲は20 kHz・25 (%)=5 kHz、すなわち励起中心から±5 kHzが効率のよい励起範囲、ラジオ波のずれへの耐久性は20 kHz・40 (%)=8 (kHz) すなわちラジオ波強度が12-28 kHzの時に正しくinversionパルスとして機能することを意味する。
Table 1 BIPパルスの種類およびそれぞれのパルス幅、励起範囲、ラジオ波強度のずれへの耐久性
Bip_x_y_z | パルス幅 (x) (us) | 励起範囲 (y) (kHz) | ラジオ波強度のずれへの 耐久性 (z) (kHz) |
---|---|---|---|
bip360_5_25 | 50 | 2 | 10 |
bip360_20_10 | 50 | 8 | 4 |
bip360_30_5 | 50 | 12 | 2 |
bip540_75_15 | 75 | 30 | 6 |
bip720_25_40 | 100 | 10 | 16 |
bip720_50_20 | 100 | 20 | 8 |
bip720_75_15 | 100 | 30 | 6 |
bip720_100_10 | 100 | 40 | 4 |
bip810_90_15 | 112.5 | 36 | 6 |
bip900_120_20 | 125 | 48 | 8 |
bip900_125_15 | 125 | 50 | 6 |
bip1382_250_15 | 192 | 100 | 6 |
BIPパルスの励起範囲とラジオ波強度のずれへの耐久性の関係
同じパルス幅のBIPパルスでも、位相の変化を調整することで励起範囲およびラジオ波強度のずれへの耐久性を変えることが可能である。Fig. 3にパルス幅が100 usであるBIPパルス、BIP720_100_10、BIP720_75_15、BIP720_50_20、BIP720_25_40の4種類について励起プロファイルを示す。これらを比較すると、同じパルス幅のBIPパルスでは、励起範囲の広さとラジオ波強度のずれへの耐久性がトレードオフの関係となっていることが分かる。パルス幅を長くすることで励起範囲とラジオ波強度のずれへの耐久性の両方を改善することが可能である。
Figure 3 パルス幅が100 us の4つのBIPパルス、(a) BIP720_100_10、(b) BIP720_75_15、(c) BIP720_50_20、(d) BIP720_25_40 のそれぞれについて、励起プロファイルを示す。
励起範囲が最も広いBIP720_25_40ではラジオ波強度のずれへの耐久性が最も低く、励起範囲が最も狭いBIP720_100_10ではラジオ波強度のずれへの耐久性が最も高いことが分かる。このようにパルス幅が同じBIPパルスでは、励起範囲とラジオ波強度のずれへの耐久性がトレードオフの関係となる。
BIP1382_250_15
BIPパルスは、パルス幅を長くすることでより理想的な励起プロファイルを達成することが可能である。通常の矩形波パルス、初期に開発されたBIP360_20_10、現在Deltaに搭載されているBIPパルスで最も励起プロファイルのよいBIP1382_250_15の3種類のinversionパルスの励起プロファイルをFig. 4 に示す。BIP1382_250_15が極めて優れた励起プロファイルを示している。一般的に長いパルス幅を用いると実際の実験で不都合が起こる可能性があるが、BIP1382_250_15は192 usであり、広帯域inversionパルスにしては比較的短く、まず問題になることはないと考えてよい。



Figure 4 矩形波 (a)、 BIP360_20_10 (b)、BIP1392_250_15 (c) の3つのinversion パルスの励起プロファイルを示す。
BIP1382_250_15の励起プロファイルが他と比較して極めて優れていることが分かる。
BIPパルスをrefocusパルスとして用いると
BIPパルスはinversionパルスとしてのみ機能し、refocusパルスとして用いることはできない。Fig. 5 にBIPパルスをrefocusパルスとして用いた場合の励起プロファイルを示す。このように、矩形波refocusパルスと同程度以下の励起プロファイルしか持たない。また、BIPパルスの種類によってはそもそもrefocusできない場合もあるため、基本的には使えない。


Figure 5 BIP360_20_10を(a) inversion パルスとして用いた場合および (b) refocus パルスとして用いた場合の励起プロファイルを示す。
BIPパルスは矩形波refocusパルスと同程度の励起プロファイルとなっている。またBIPパルスの種類によってはrefocusできない場合もあるため、基本的には使えない。
まとめ
高磁場NMRにおいて、矩形波パルスは励起効率が不十分であり、しばしば広帯域パルスを用いる必要がある。
BIPパルスは広帯域のinversionパルスとして機能する。
ほとんどの系においては、広帯域のinversionパルスを使いたい場合はBIP1382_250_15を用いればよい。
BIPパルスは基本的にはrefocusパルスとして機能しない。
参考文献
Smith, M. A., Hu, H., & Shaka, A. J. (2001). Improved Broadband Inversion Performance for NMR in Liquids. Journal of Magnetic Resonance, 151(2), 269–283. https://doi.org/10.1006/jmre.2001.2364