超高速MASを用いたヒスチジン塩酸塩一水和物の構造解析
NM240010
超高速MAS
固体NMRでは、双極子相互作用や化学シフト異方性等の様々な相互作用によって、静止状態では多くの場合極めて広幅かつ感度の低いスペクトルが得られる。この問題を解決するために、磁場の方向と54.74 degずれた方向に試料を傾け、試料を高速回転させることでいわば溶液に近い状態を作り出す。この操作をMAS (Magic Angle Spinning) と呼び、分解能および感度の向上が見込まれる。13C観測の実験であれば、数kHzの回転数があれば1H-13C間の異核種双極子相互作用はよく平均化され、1Hデカップリングを併用することで分析に堪えるスペクトルが得られる。それに対し、1H-1Hの同核種の双極子相互作用はさらに大きく、平均化するためにはより高い回転数が必要とされる。近年のハードウェアの発達により、より高速 (70 kHz以上) で試料を回転させることが可能となり、固体NMRにおいて1Hスペクトルも観測対象として極めて有用になってきた。Fig. 1 にGlycineを20 kHz から110 kHz まで、回転数を変えながら取得した一次元スペクトルを示す。このように、高速回転によって高い分解能および感度が達成されていることが分かる。本稿ではヒスチジン塩酸塩一水和物について高速MASを用いて詳細に構造を解析した例を紹介する。
Figure 1 | Glycineの結晶中での構造、1Hスペクトルの回転数依存性
1H 一次元測定
高速MASによって高分解能の1Hスペクトルが得られれば、定量的な議論が可能となる。Fig.2にヒスチジン塩酸塩一水和物の一次元1Hスペクトルおよび各信号の積分値を示す。一部の信号が重なっているため誤差が生じるが、5つの信号について水素原子の数をそれぞれ1, 1, 5, 2, 3個と、積分値と1Hの数を対応させて議論することができる。
Figure 2 | ヒスチジン塩酸塩一水和物の1H 一次元スペクトル ここではdepth2によりバックグラウンドを低減したスペクトルを示している。
1H-13C 二次元測定
1H-13Cの相関スペクトルを取得することで、1Hと13Cの近接度に関する情報が得られる。Fig. 3 に1H-13C HSQC スペクトルを示す。ここでは、1H→13Cの磁化移動に交差分極 (Cross Polarization, CP) 法を用いている。ここではCH直接結合の信号を検出するため、磁化移動の接触時間 (contact time) を0.2 msとした。イミダゾールCHが2個とCH、CH2の4個のCH直接結合の信号が観測され、1H 一次元測定ではCH信号とCH2信号が重なっていたことが分かる。また、接触時間を長くすることによってより遠距離の相関信号を得ることも可能である。
Figure 3 | ヒスチジン塩酸塩一水和物の1H-13C スペクトル
1H-14N 二次元測定
1H-14Nの相関スペクトルを取得することで、水素原子と窒素原子の近接度に関する情報が得られる。Fig. 4 に1H-14N T-HMQC スペクトルを示す。1H-13C HSQCとスペクトルの見方は同じであるが、ここでは、1H→14Nの磁化移動にTRAPDORと呼ばれる別の方法を用いている。3つの信号が検出されており、NH3+の信号に加えて、イミダゾール環の2個のNHに対応する信号が検出されている。
Figure 4 | ヒスチジン塩酸塩一水和物の1H-14N スペクトル
1H-35Cl 二次元測定
1H-35Clの相関スペクトルを取得することで、水素原子と塩素原子の近接度に関する情報を得ることができる。Fig. 5 に1H-35Cl DQ T-HMQCスペクトルを示す。このスペクトルも1H-13C HSQCや1H-14N T-HMQCとスペクトルの見方は同じであるが、原理の異なる測定法をここでは用いている。塩素原子は1種類しかないため縦軸方向には一つの信号しか見えていないが、どの水素原子が塩素原子と近接しているかを見極めることが可能である。
Figure 5 | ヒスチジン塩酸塩一水和物の1H-35Cl スペクトル
信号の帰属
ここまでに示した1H 一次元スペクトルおよび3個の二次元相関スペクトルの投影スペクトルをアレイしたものをFig. 6に示す。1H-13Cスペクトルとの比較から、イミダゾールCHおよびCH,CH2信号が帰属され、続いて1H-14Nスペクトルとの比較から2つのイミダゾールNHおよびNH3+の信号が帰属される。また、C,Nの両方と相関が見えていない信号がH2O信号と判断される。このように、いくつかの二次元スペクトルの情報を組み合わせることで信号を帰属することが可能である。
Figure 6 | ヒスチジン塩酸塩一水和物の1H 一次元スペクトルおよび3個の二次元相関スペクトルの投影スペクトル
1H-1H 相関スペクトル (DQMAS)
Fig. 7に1H-1H 相関スペクトルを示す。近接する二つの1H間に相関信号が検出される。DQMASでは縦軸がDQ (double quantum, 二量子) のシフトとなっており、傾き2の直線に関して対称な位置に相関信号が現れる。以下に解析の例を示す。一番左のイミダゾール環のNH (図中赤) の信号に注目すると、赤線で示した5つの相関が検出されている。これらはイミダゾール環上のHとおよび水分子との相関信号である。また、左から二つ目のイミダゾール環のNH信号 (図中黄) に注目すると、こちらもイミダゾール環上のHおよび水分子との相関信号が検出されている。分子の運動性にも影響をうけるが、おおよそ2~3Å以内の近接情報が得られる。
Figure 7 | ヒスチジン塩酸塩一水和物の1H DQMAS スペクトル 二つのイミダゾールNHについて、詳細な解析を行った。
参考文献
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