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クイーンズランド大学 顕微鏡・微量分析センター(CMM:Centre for Microscopy and Microanalysis)

クライオEMがワクチン開発を支える

オーストラリアを代表する大学連合 Group of Eight の1校であるクイーンズランド大学は、研究重視型の大学として知られている。バイオテクノロジーやナノテクノロジーの分野でも成果を上げている。同大学の顕微鏡・微量分析センター(以下、CMM)は、そうした最先端の研究を支援する研究インフラセンターだ。

2025年7月、クイーンズランド大学が開発した「分子クランプ技術」(※1)が大きな話題となった。この技術は英国ロンドンに本社を置く非上場バイオ企業の英バイスバイオ社にライセンス供与されているのだが、大手製薬会社の仏サノフィがそのバイスバイオ社の買収を発表したのだ。初期支払い総額は11億5000万米ドルに上る。この金額はオーストラリアの大学の知的財産を商業化した企業に関する取引としては最大規模のものである。

参考:Billion-dollar deal takes UQ vaccine tech to the world

分子クランプ技術はワクチン製造において迅速な対応を可能にし、今後の新たなパンデミック及び他のウイルス感染への備えとなる技術である。その研究が進められてきた過程で、CMMとクライオ電子顕微鏡(以下、クライオEM)はどのような役割を果たしたのか。CMMセンター長のRoger Wepf教授に支援している研究や、センターの役割、将来構想について話を伺った。

※1 コロナウイルスやインフルエンザウイルスはその表面にあるスパイクタンパク質を介して宿主に感染する。このスパイクタンパク質は不安定で、受容体への結合などをきっかけに構造変化が起きる(融合後形態)。ウイルス感染に対抗するためには、融合後形態ではなく、融合前形態を前提にしたワクチンが有効である。分子クランプ技術は、融合前形態のスパイクタンパク質を安定した状態で保持する技術である。例えば、COVID-19の原因となるウイルス(SARS-CoV-2)のスパイクタンパク質は、開発した分子クランプ(ポリペプチド)によって3つがつなぎ止められた形態(3量体)になることで安定して存在できるようになる。

CMMセンター長 Roger Wepf教授

Q:分子クランプ技術の研究過程でCMM、そしてクライオEMはどのような貢献をしましたか。

A:まず明確にしておきたいのは、CMMが分子クランプの研究を主導したわけではありません。CMMはクランプ構造を研究するPaul Young名誉教授、Daniel Watterson教授、それにKeith Chappell教授らのチームを支援したのです。

参考:UQ vaccine tech strikes billion-dollar deal

では具体的にどのような支援をしたか。彼らが対象にしているスパイクタンパク質は表面構造が変化するのですが、クライオTEM単粒子イメージングによりその異なる構造を観察する手助けをしました。
その名の通り、このスパイクタンパク質を3つつなぎ止めて固定し、SARSなどのウイルス表面に通常存在するときのような、安定した3量体にしているのがクランプです。この形にすることでスパイクタンパク質の立体構造が安定します。まさに部品を固定する締め具(クランプ)です。この3量体を免疫タンパク質として体内に入れると体はまるでウイルスに感染したかのような免疫反応を起こし抗体を生成するようになります。

日本電子のクライオTEM、「CRYO ARM™ 300」は2019年から2020年にかけて導入しました。ほぼ同時期に「CRYO ARM™ 200」も購入しました。2020年と聞いて思い当たりませんか。そう、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)です。ワクチンチームにとってちょうど新しいクライオ電子顕微鏡を導入した直後に発生したのです。ですからこれらのクライオTEMはすぐにクランプ技術を開発するチームの強力なツールとして活躍しました。最初期のSARS-CoV-2ワクチン研究、そしてその後の今日のクランプ技術の開発も支えたのです。

CRYO ARM™ 200

CRYO ARM™ 300

Q:改めてCMMについて教えてください。どのような施設でどのような役割を果たしているのでしょうか。

A:CMMは非常に大規模な共同研究プラットフォームです。私たちは「共同研究・特性評価プラットフォーム」(CRP)と呼んでいますが、人工物および天然材料のための最先端の電子、質量分析、およびX線特性評価とイメージング機能に焦点を当てています。基本的に大学の全分野、つまり工学から材料科学、生命科学、生物学、量子物理学と量子デバイス、そしてポリマー複合材料に至るまでをカバーしています。年間約700~800件のプロジェクトを支援し、およそ750人のユーザーを抱えています。

多くの機器は標準的な光学顕微鏡とは異なり、操作に高度な専門知識を要します。私たちはユーザーがそうした機器を利用できるよう優秀なスタッフやチームと連携して取り計らっています。彼らが輝き、研究を遂行できるように支援する。こうした先進技術へのアクセスを民主化する、それがCMMの役割です。

Q:センター長としてWepf教授が心がけていることはありますか。

A:様々なツールを、誰にでも利用できるものにしたいということは常に思っています。ここでスタッフの専門知識が重要であり、クライオTEMであれその他の装置であれ、できるだけ気軽に使えるようCMMのチームで協力して取り組んでいます。

また、研究者が将来的に何を必要とするかを先見の明を持って計画し、装置の入れ替えやアップグレードの計画を立てるなど、未来に目を向けることも必要です。数年ごとに最先端の機器に更新したいですが、常にそれが可能とはかぎりません。そのため賢くアップグレードすることによって装置の寿命を延ばしたり、独自の新しい機能を追加したりしています。そのためには常に研究助成金を申請し、プラットフォームを更新できるような優れたアイデアを考え出さなければなりません。私にとって、これこそが「技術探索」であり「地域的な研究開発(ローカルR&D)」と呼ぶもので、仕事の中で最もワクワクする部分です。

目下、私たちは、これまでの顕微鏡センターにない新たな機能を提供できないか、具体的には「クライオ統合型」とでも呼ぶべきワークフローを提供できないか検討中です。クライオSEM(走査電子顕微鏡)やクライオTEM(透過電子顕微鏡)だけでなく、光学顕微鏡や質量分析イメージングも含めて、自動化のレベルを上げながら、異なる特性評価手段を一連のワークフローに統合するという構想です。このような構想を進めて実現へと導くことが、CMMにおける私の主要な役割の一つだと思っています。

通常、ある装置から別の装置へサンプルを移すのは困難です。私たちが目指しているのはサンプルを総合的な視点で理解することです。それは異なるスケールで調べたり、複数の化学情報、それに様々な種類の分光法のデータなどを用いたりして理解することです。

具体的には、低温移送装置や、異なるスケールでサンプルの同一領域を特定できるシステムなどを研究プロジェクトに沿って開発する必要があります。私たちが構築しようとしているのは、いわば特性評価手法や装置をまたいだイメージングパイプラインです。
これは単に私たちがそうしたいからやっていることではなく、実際、さまざまなプロジェクトの研究者に、サンプルを原状のまま(人工的な変形を少なく)、より速く独自の測定結果を提供できるようになるのです。

オーストラリア生物工学ナノテクノロジー研究所(AIBN :Australian Institute for Bioengineering and Nanotechnology)
施設内にはCMMなど最先端の施設と卓越した研究センターが集結している

Q:日本電子のクライオTEMを導入した理由をお聞かせください。

A:他社のクライオTEMを使用していましたが、試料の投入、管理など、全て手作業で行わなければなりませんでした。調達にあたり、主に2つのメーカーが候補に挙がりました。そして実際に各メーカーの研究所を訪れ、持参したサンプルで機器のテストを行いました。

私は博士課程の時に、冷陰極電界放出型電子銃を備えたSEMやSTEM(走査型透過電子顕微鏡)を使用していましたから、この方式の電子銃がより高い解像度、可干渉性と優れた位相コントラスト伝達関数(※2)をもたらすことを知っていました。日本電子の冷陰極電界放出型TEMの動作原理には強い関心を抱いていました。そこで東京を含め複数拠点で試験をし、競合他社の装置も各地で検証した結果、実際に取得した画像において格段に優れたS/N比と高い分解能が得られることを確認しました。

※2 位相コントラスト伝達関数:TEMでは通常、電子波の位相の変化は観察できないが、これを振幅に変換することによって位相の分布をTEM像として観測できる。位相を変換して得た振幅が、どの程度TEM像に寄与するかを表した関数を位相コントラスト伝達関数と呼ぶ。

また、日本電子製品には鏡筒内にオメガフィルター(※3)が装着していることです。微細な試料を扱う場合に、いわゆるゼロロスフィルタリング(※4)が必要になることがありますが、このフィルターは電子光学系に統合されています。つまり、追加のサードパーティ製エネルギーフィルターを設置して別途計算や操作を行う必要はなく、エネルギーフィルター画像と同様に必要な時にゼロロスフィルタリングが容易に行えるのです。

※3 オメガフィルター:透過電子顕微鏡の中間レンズと投影レンズの間に組み込まれるインコラム型のエネルギーフィルター。おもにフィルター像(ゼロロス像)、ゼロロスCBED図形、エネルギーロス像を得るために使われる。

※4 ゼロロスフィルタリング:試料を通過する際に特定の量のエネルギーを失った電子を選択または除去すること。画像のコントラストを向上させたり、元素分析を可能にしたりする目的で使われる。

最後に、日本電子製品は試料を最大12個クライオ仕様ポートに保持でき、一度に1~4個の試料交換が可能でした。一方、競合製品ではカートリッジごと、つまり12個のサンプル全てをアンロードする必要があったのです。こうした主な理由などで日本電子製品を選びました。

Q:COVID-19パンデミック下では渡航禁止や輸送網の遮断など厳しい状況下だったと思います。日本電子のサポートはどうでしたか。

A:クライオTEMの導入は順調でした。COVID-19が国内に持ち込まれる直前に機器を国内に搬入し設置を始められましたから。これは幸運でした。
問題がなかったわけではありません。これらの機器は微調整などで常に多くの問題を引き起こすことは承知しています。ですが私たちは本来の作業に専念できました。そして分子クランプの開発にも貢献できたのです。率直に言って日本電子のサポートは非常に良く、導入を進める上で大いに役立ちました。

Q:これからの5年から10年の間に、クライオEMはどのように進化すると思いますか。

A:一つは扱える生体分子のサイズです。クライオEMと単粒子解析法の組み合わせは構造決定の新しい標準となりました。また、4万Da(※5)、あるいはそれ以下の分子も対象になるのも、おそらく時間の問題です。電子銃が入る鏡筒をより安定したものにして、カメラの解像度を上げて、処理速度も上げて、さらにその他の部分も向上させる。そうなれば、おそらく2万Daまでいくでしょう。

※5 Da(ダルトン):12C原子の質量の1/12を1とする質量の単位

もう一つは冷陰極電界放出型電子銃をベースにした次世代型クライオTEMの開発です。加速電圧は80k~120kVと比較的低く、検出器は高速、そして自動ローダー付きといったスペックを持つ機種です。これはRichard Henderson氏(クライオEMでノーベル化学賞を受賞)が言うところの「民主化した」クライオTEM、つまり利用者のすそ野を広げる安価なクライオTEMで、彼が長らく開発しようとしているタイプです。

※参考:Nobel Prize in Chemistry 2017

いずれにせよ、こういった複雑で高度な技術機器のさらなる発展には、企業が進んで世界中の研究者たちと次世代の優れた製品を開発することが不可欠だと考えています。JEOLはその点で優れた実績を上げています。

プロフィール

Prof. Roger Albert Wepf
クイーンズランド大学 顕微鏡・微細胞解析センター(CMM)所長、教授

仏ストラスブール生まれ。
1992年にスイス連邦工科大学で細胞生物学および構造研究の学位を取得。ポスドク研究員を経て、ハイデルベルクの欧州分子生物学研究所でマックス・ハイダーグループの物理計測器プログラムに参加し、クライオ電子顕微鏡技術の開発に従事。その後ハンブルグにある民間企業にて分析顕微鏡部門長を担当。
2006年にスイス連邦工科大学チューリッヒ校の電子顕微鏡センター所長、2014年には光学電子顕微鏡科学センター(ScopeM)の技術ディレクターに就任。2012年から2016年まで欧州顕微鏡学会の会長。

このインタビューは2025年11月に行われました。Roger Wepf教授は2026年6月4日にご逝去されました。Wepf教授の惜しみないご支援、ご協力に深く感謝申し上げます。ご遺族、ご友人、同僚の皆様に心よりお悔み申し上げますとともに、深い敬意と感謝の念を込めて哀悼の意を表します。ご冥福をお祈りいたします。

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