糖連結部を操りクレイジーな多糖アナログ合成へ
INTERVIEW 22
国立大学法人九州大学大学院
薬学研究院
平井 剛 教授
天然に存在する複合糖質の連結部の酸素原子を炭素原子に変えたアナログ※は、酵素により加水分解されない生物機能分子として創薬や生物学分野の発展に貢献すると期待されている。九州大学大学院薬学研究院の平井 剛教授は "複合糖質アナログ"の設計、合成、評価を通じて、新しい生物活性分子の創出に挑んでいる。
※元の分子と構造や性質が類似しているが、一部の構成要素が異なる分子
複合糖質アナログの開発と評価
平井教授の研究者としてのキャリアは、学生時代の天然物の全合成研究から始まり、そこから自然と糖鎖や複合糖質の生物活性に目が向くようになっていく。博士後期課程修了後、数年間かけてケミカルバイオロジー・生物学の初歩を習得したことで、分子を生物活性側から捉える視点を獲得し、現在は「有機化学」と「ケミカルバイオロジー」の知見を融合し、天然に存在する糖鎖や複合糖質のアナログ開発に関する研究を進展させている。
β-グルコシルセラミド (天然物)
β-グルコシルセラミドのアナログ
「タンパク質や脂質が糖鎖と結合した複合糖質は免疫応答や細菌・ウィルスの感染、細胞の増殖などの生命活動において重要な役割を果たしていますが、体内の糖加水分解酵素により容易に分解されてしまうため、創薬利用が困難でした。我々は複合糖質の連結部分の酸素原子を炭素原子に置き換えた加水分解耐性を備えた複合糖質アナログを合成し、免疫活性化能などの生物活性の評価を進めてきました。当初研究対象にしていたガングリオシドGM3アナログは工程数を必要としていたので、結構時間がかかってしまいました。九州大学に着任してからは必要な反応を開発しつつ、ターゲットにしている分子群を20工程ぐらいで合成できるものを対象にしています。そうすると学生さん一人一人が、新しい分子を作ることが現実的な目標として描けます。チャレンジ性もあるし、生物活性も評価できれば、結構いい経験ができると思っています。」
生物活性に効く分子の動きを探索中
糖の連結部をO-グリコシド結合からC-グリコシド結合 (CH2、(R)-CHF、(S)-CHFの3種) に変えた複合糖質アナログをつくって生物活性を評価した結果、生物活性が100倍以上向上するものが見られた。一体この活性差の原因は何なのか?構造が効くのか、連結部の回転のしやすさが効いているのか、それ以外の原因があるのか、検討が積み重ねられた。
β-グルコシルセラミドのアナログ分子の免疫活性化能比較では、
CH2-連結型が天然型の100倍以上の免疫活性化能を示した
通常、生体内では分子はタンパク質と結合して生物活性を示すため、最初はタンパク質に結合しやすい構造に固定できれば活性が高まると考えられた。しかし実験を進めるうちに、平井教授は特定の構造に着目することは1枚のスナップショットしか見ていないことに気が付く。そして、連結部周辺の結合の回転による分子の動きが活性に影響しているのではないかとの考えに至った平井教授は、MDシミュレーションやDFT計算などの手法を駆使して、生物活性が向上するときに共通する分子の動きを探りはじめ、現在は情報を収集している段階だ。
「複合糖質アナログでは、生物活性が上がる分子の動きが一個一個違うんです。だから、予測して活性の高い分子を作ることは今のところ難しい。なので、いろんな組み合わせでアナログ分子をつくったり、シミュレーションをしたりして、天然型の分子よりも生物活性が向上する分子の動きを探っているところです。
ただ、実験で使う天然型の分子も市販されていないものがほとんどなので、全部一から合成しなきゃいけないので、なかなかのハードワークです (笑)」
がんワクチンへの応用も
複合糖質アナログの開発と評価に取り組む平井教授は、がんワクチンの開発も視野に入れている。
モデルナ社などが開発した新型コロナワクチンは、4種類の脂質分子で構成される脂質ナノ粒子に包まれたmRNAワクチンで、細胞の中に入ると脂質ナノ粒子が壊れて、中のmRNAが放出される仕組みだ。
新型コロナワクチンの微細構造
このmRNAワクチンは筋肉に注射された後、肝臓でmRNAが翻訳されてタンパク質になり、それが抗原となって免疫細胞が抗体を産生する。しかし、ごく稀に肝臓障害を起こす人が出てしまう。ワクチンが筋肉からそのまま免疫細胞に運ばれたら、より安全かつシンプルに抗体をつくれるはずと想像できる。
平井教授の研究チームで開発した合成法を使うことで、天然には存在しない脂質分子を生み出すことができる。それを脂質ナノ粒子の構成成分として利用する研究も展開中である。「同じ九州大学の薬物動態学分野・医薬基盤・健康・栄養研究所の研究者と共同で作製したオリジナル脂質ナノ粒子が、実際に使用されている脂質ナノ粒子よりも効率的に免疫細胞に取り込まれることがわかったんです。しかも、マウスの実験では、私達の開発した脂質ナノ粒子は肝臓にはほとんど運ばれませんでした。」新しい脂質分子によるオリジナル脂質ナノ粒子を、ワクチンに応用する可能性が見えてきた瞬間だ。「がんは転移や再発がすごく厄介で、個人的にはこれを防げれば患者さんの不安はだいぶ軽減すると思うんです。がん細胞に特徴的な遺伝子変異を特定し、それを反映したmRNAを取り込んだ脂質ナノ粒子を作製すれば、がんワクチンを作ることができます。これを使えば、初期治療後に残っているがん細胞を、自分自身の免疫で叩くことができるはずです。共同研究者の皆さんが、我々の分子を使ってがんワクチンの実現を目指してくれています。」
早くて精密、一石二鳥なMALDI-TOFMS
ここまで紹介してきた研究には何工程もの有機合成が必要なこともあり、各段階ごとの分析をいかにスムーズかつ正確に行うかが、研究全体を通じて重要になってくる。平井教授の研究チームでは、個々の反応を終えるとまず最近導入したMALDI-TOFMS
(JEOL製JMS-S3000) で測定を行い、目的物ができているかどうかを確認する。MALDI-TOFMSだとESI
MSのような試料の精製や細かい濃度調整が不要なため、測定が非常にスムーズなのだ。例えば、カラムで分離したフラクションをそのままプレートに乗せてMS測定できるイメージだ。
「我々は10工程の合成をすると、最低でも10回MSを取らないといけない。JMS-S3000なら、最大で384個の試料をプレートに乗せて連続測定で生成した化合物の確認が可能なうえ、論文投稿レベルのデータ (精密分子量)
も得られて一石二鳥。ありがたいです」
雑談がJMS-S3000導入のきっかけ
当初はESI MSを導入しようとしていたという平井教授はどのような経緯で、MALDI-TOFMSの導入へと舵を切ったのだろうか。
「九大に来る前からMALDI-TOFMSを使っていたので、その便利さはよくわかってましたが、予算背景もあってESI
MSを導入しようと考えていました。同時期に、それまで薬学部で動いていた他社のMALDI-TOFMSが更新時期を迎え、他社製品に更新することも聞いていました。そんなとき、たまたまJEOLさんの方と雑談をしていて「JEOLにも使い易いMALDI-TOFMSがありますよ。高いですが・・・」という話を耳にして、ちょっと待てよと。こっちの予算とあっちの予算を合わせれば、性能の良いMALDI-TOFMSが1台導入できるじゃないかと閃いた。そこから各所でJMS-S3000の情報を集めたら、ユーザーさんの評判がとても良かったんです。最終的に当研究室の寄立先生がデモを見に行って、これは大丈夫だと判断して正式に導入を決めました。導入後はトラブルもなく、期待通りに稼働してくれて大いに助かっています。もちろんMALDI-TOFMSに加えて、最終的にはNMR測定で正確な構造を決めるようにしています。」
MALDI-TOFMS (JEOL製JMS-S3000) ちょうど測定していた平井研の学生さんと
技術サポート力が魅力のNMR
2025年まで、薬学研究院では2台のNMRが稼働していたが、1台は30年ものでプローブのチューニングができず、稼働時間の10%ぐらいしか使えてない状態。その影響で、もう1台はひどい混雑ぶりだった。そんな状況のもと、使い勝手の良さと技術サポートの丁寧さを経験してきた平井教授の意向もあり、JEOL製NMR
(500MHz) が薬学研究院に導入された。それから1年半で利用者も増え、ほぼ24時間稼働している状態だ。
「JEOLさんのNMRのいいところは、技術サポートの方に気軽に何でも聞けて、トラブルへの対応が非常に早いこと。とにかくありがたいです。我々は工程数の多い合成実験をしているので、分析が止まると大変困るんです。
不思議なのですが、我々研究者とJEOLの方々とはすごく距離感が近い気がしています。人と人としてお付き合いしている感じです。分析に関するセミナーを開催してもらったり、普通に研究室で雑談していたり、ちょっと他のメーカーさんにはない関係性。だから、細かいことでも何でも相談できるんでしょうね。
そういう企業風土をなくして欲しくないというのが、JEOLさんへ唯一お願いしたいと思ってることです。
これからも今までのようないい関係を続けていきたいですね」
NMR (JEOL製JNM-ECZL500R) 管理している寄立麻琴講師と
多糖の連結部酸素を炭素に置き換える!
最後に、平井教授に今後の研究について尋ねると、驚くべき答えが返ってきた。
「化粧品に入っているヒアルロン酸など、多糖類で切断されそうな連結部の酸素を全て炭素に置き換えたものをつくってみたいです。
絶対クレイジーでしょ、そんな研究(笑)。
ヒアルロン酸 (天然物)
20年近く前に、ヒアルロン酸は老化とともに徐々に切れていって分子量が減っていくと聞いたとき、ヒアルロン酸がずっと切れない状態になったらどうなるんだろうと思ったんです。ヒアルロン酸は保水力がすごく強いのですが、その酸素を炭素に置き換えたら親水性も変わるはずだから、一体どんなものになるかとても興味をそそられた。そんなものをつくろうとする人はいないと思ったので、じゃあ私がやってやろうと(笑)。
現状、ヒアルロン酸に先行して、他の多糖の連結手法ができつつあるので、多分そのうちある程度の長さのものがつくれそうです。すごい長い多糖を合成するのは今の技術だと難しすぎるので、まずは現実的な長さで作ってみて。何がかわるのか見てみようと思っています。生物活性があったら、最高に面白いんですけど。
こんな感じで、私はどんなものをつくりたいかをまずイメージして、それに向かって合成の方法論を考えていくタイプです。天然物そのものではなく、反応ベースで作れるものを考えるよりは、発想ベースで分子を設計してそれをなんとか合成することを生業としたいんです。こんな凄い分子をつくりたいから、反応を開発しようと思った方が楽しいじゃないですか。研究を通じて、そんな人材を育成できればいいなと思っています」
平井 剛 (ひらい ごう)
九州大学大学院薬学研究院 薬物分子設計学分野
東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了後、同大学院助手、理化学研究所専任研究員などを経て、2016年9月より現職。博士 (理学)。
