NMRによる医薬品のスクリーニング手法
NM170019
NMR を利用してタンパク質−リガンド※1相互作用を観測するメリットは、水溶液中におけるタンパク質とリガンドを解離と結合の平衡状態のまま観測できることにあります。今回ご紹介する各一次元NMR 法は、タンパク質の詳細な構造解析を行うためではなく、目的のタンパク質と相互作用のある低分子(リガンド)を複数の候補化合物から見つけ出すためのNMR手法です。今回紹介する内容は医薬品のスクリーニング※2手法として注目されています。
※2 スクリーニングとは、多数の候補化合物から、薬効・活性を示すものを選別することです。
スピン拡散と飽和移動
タンパク質-リガンドの相互作用を観測するNMR手法では、スピン拡散、飽和移動と呼ばれる現象が非常に重要になるため先にこれらについて紹介します。
タンパク質の信号を選択的に励起して飽和させるとタンパク質全体が飽和される現象がスピン拡散です。そして飽和の影響はタンパク質に結合したリガンドにも伝わり (この現象を飽和移動 Saturation Transferと呼びます) 、飽和されたリガンドの信号強度が減少します(リガンド以外の低分子化合物の信号強度は変化しません)。図1は飽和拡散の模式図です。飽和移動はタンパク質-リガンド間の結合と解離の化学交換を介して伝えられます。

図1: 飽和移動の模式図
STD法(Saturation Transfer Difference)
STD法では飽和移動させた時とそうでない時との差スペクトルをとります。その結果、相互作用しない化合物の信号はキャンセルされ、結合リガンド由来の信号のみが得られます。つまり結合活性の持つ化合物だけが選択的に観測されます。図2はSTD法の模式図です。赤い塗りつぶしは、飽和によって信号が観測されない、もしくは強度が低下した状態を示します。

図2: STD法の模式図
STD法のパルスシーケンス
STD法では、図3のようにタンパク質を選択的に励起したスペクトルと非励起のスペクトルを同一シーケンス内で交互に取り込むことにより、両者の差スペクトルが直接得られます。またT1ρフィルターによりタンパク質のスペクトルを減少させ解析しやすくしています。

図3: STD法のパルスシーケンス
参考文献: J. Klein, R.Meinecke, M.Mayer, and B.Meyer, J. Am. Chem. Soc. 1999, 121, 5336-5337.
STDスペクトル
図4は例として、ヒト血清アルブミン(HSA)、L-(+)-アルギニン(Arg)、L-トリプトファン(Trp)のSTDおよび1Hスペクトルです。STDスペクトルには、アルブミンとの結合活性を有するトリプトファンの信号のみが現れ、結合活性を持たないアルギニンの信号は消失することがわかります。

図4: (A)STDスペクトル, (B)1Hスペクトル アルブミン 0.1 mM,Trp 2 mM,Arg 2 mM の混合溶液 (100% D2O溶液)
- (A) STDスペクトル: 積算64回、タンパク質の選択励起位置 励起時0.6ppm、非励起時-10ppm、飽和時間8s、T1ρフィルター50ms
- (B) 1Hスペクトル: 積算64回
- 使用装置: JNM-ECZ400S+ROYALプローブ
DIRECTION法 (Difference of Inversion RECovery rates with and without Target IrradiatiON)
タンパク質とリガンドの相互作用をNMRの緩和時間T1で解析する手法がDIRECTION法※1です。
一般的にSTDスペクトルの信号強度はタンパク質と相互作用が強い1Hほど信号強度が大きく得られます。そのため、リガンドの活性部位に関して考察が可能です。ただし、飽和移動の効率はリガンド側の縦緩和時間T1が短い場合には減少してしまうため、各1HのT1を考慮して解析をする必要があります。 そこで、飽和移動の度合いを信号強度ではなくT1から直接的に考察する方法がDIRECTION法です。DIRECTION法ではSTD法と同様に飽和移動させた時とそうでない時とでそれぞれInversion Recovery法でT1測定を行い、T1の変化を確認します。タンパク質と相互作用の強い1Hほど飽和移動によりT1が減少します。
DIRECTION法のパルスシーケンス
DIRECTION法は図5に示すパルスシーケンスで、presaturation OFF/ONの2回測定を行い緩和時間の差からタンパク質-リガンドの相互作用を確認します。またT2フィルターによりタンパク質の信号を減少させます。

図5: DIRECTION法のパルスシーケンス
参考文献: Y. Mizukoshi, A.Abe, T.Takizawa, H.Hanzawa, Y.Fukunishi, I.Shimada and H.Takahashi, Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 1362-1365.
DIRECTION法の結果
表1はヒト血清アルブミン(HSA) 0.1mM, L-トリプトファン(Trp) 2mM, L-(+)-アルギニン(Arg) 2mM の混合溶液 (100% D2O溶液) のDIRECTION法の結果になります。結合活性のないアルギニンは飽和移動の起こる条件で測定してもT1に変化は見られません。一方トリプトファンについては全体的にT1の減少が見られ、特に3.22ppm, 3.24ppmの信号のT1減少が顕著なことがわかります。
表1: DIRECTION法の結果
assign | CS/ppm | 飽和移動なし T1/s |
飽和移動あり T1/s |
増減% | |
---|---|---|---|---|---|
1 | arg | 1.62 | 0.94 | 0.96 | 102.13 |
2 | arg | 1.77 | 0.96 | 0.94 | 97.92 |
3 | arg | 3.18 | 1.04 | 0.99 | 95.19 |
4 | trp | 3.22 | 1.11 | 0.62 | 55.86 |
5 | trp | 3.24 | 1.02 | 0.60 | 58.82 |
6 | trp | 3.38 | 1.06 | 0.70 | 66.04 |
7 | arg | 3.57 | 3.18 | 3.24 | 101.89 |
8 | trp | 3.93 | 1.83 | 1.28 | 69.95 |
9 | trp | 7.13 | 1.90 | 1.41 | 74.21 |
10 | trp | 7.21 | 1.92 | 1.41 | 73.44 |
11 | trp | 7.25 | 2.18 | 1.49 | 68.35 |
12 | trp | 7.48 | 1.92 | 1.22 | 63.54 |
13 | trp | 7.69 | 1.80 | 1.27 | 70.56 |
DIRECTION法: 積算32回, loop数 80, 待ち時間 15s, T2フィルター 80ms, tau interval 0.1~16s 8点
使用装置: JNM-ECZ400S+ROYALプローブ
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