フェニルホスフィン含有試料の解析例
NM240009
触媒試料ではフェニルホスフィン構造を有するリン含有化合物が多く存在します。リン(31P)近傍の13Cの信号はカップリングによって分裂しますが、 フェニル基を複数持つ構造の場合には狭い化学シフト範囲の多くの信号が検出されるため、元々識別が難しいところにさらに分裂によって複雑化してしまいます。そこでこういった構造の信号帰属に役立つ測定例を紹介します。本資料の測定では1H, 31P, Xの三重共鳴測定が可能なROYALプローブTM P+ [1] と標準構成のJNM-ECZL600Gを使用しました。JNM-ECZLシリーズでは標準2チャンネルのNMR装置であっても3核種の周波数出力が可能です。[2]
予備実験
まずはフェニルホスフィン構造を持つ48.5mM トリフェニルホスフィンの例を紹介します。本試料は3つのフェニル基を有しますが、すべて等価なのでNMRスペクトルは1種類のフェニル基由来の信号が検出されます。 図1に13C NMRスペクトルを示します。高磁場側から番号付けを行っており、拡大図を見るとすべての信号が31Pとのカップリングで分裂していることがわかります。各信号の帰属結果が図2であり、表1に13C化学シフトと31Pとのカップリング定数をまとめました。この結果より直接結合した13Cであっても31Pのカップリング定数はそれほど大きくないことがわかります。また当然ながら芳香族領域が混み合うため、非等価なフェニル基が存在する場合は高分離能のスペクトルを得られないと信号のオーバーラップにより解析が難しくなります。

図1: 13C {1H}スペクトル

図2: トリフェニルホスフィンの 構造式と13Cの番号付け
表1: 13C 化学シフトと31Pとのカップリング定数

非等価なフェニル基を持つ化合物の13Cスペクトルについて
10mgの di-t-butyl 1,2,3-triphenyl-2,3-dihydro-1H-1,2,3-triphosphole-4,5-dicarboxylate A [3] をCDCl3に溶解させて調製した試料の13Cスペクトルを 図3に示します。 本試料もトリフェニルホスフィンと同様に3つのフェニル基を持ちますが、等価ではないため化学シフトの異なる2種類の芳香環由来の13C信号が観測され、それぞれの信号が31P信号とのカップリングによって分裂します。 そのため芳香族領域の13Cスペクトルが非常に混み合い、解析が困難です。図4は13C{1H}スペクトルの芳香族領域を表示し、13C{1H}{31P}およびDEPT{1H}{31P}の三重共鳴スペクトルとの比較スペクトルです。図4 b)に示すように13C, 1H, 31Pの三重共鳴測定ではスペクトルパターンが単純化することで解析しやすくなり、さらに図4 c)に示すDEPTにおいて、3級炭素(CH)と4級炭素を容易に区別することができます。
a) 13C{1H}スペクトル, b) 13C{1H}{31P}スペクトル, c) DEPT {1H}{31P} スペクトル
HSQCへの31Pデカップリングの適用
図5に試料Aのa) 31Pデカップリング無し、 b) 31Pデカップリング有りの1H-13C HSQCスペクトルを示します。C-Pのカップリングが小さいため、通常の2D NMRの分解能では差は見えないのですが、13Cスペクトルが混み合っているため、デジタル分解能の高い条件で、分離能を重視した処理条件を適用する必要があり、そのような場合にはしっかりと31Pデカップリングの効果が確認できます。
J Cross Polarizationを用いた13C31P 相関測定
フェニルホスフィン構造においては13Cの化学シフトが芳香族領域で混み合ってしまう点と1JCPとnJCPのカップリング定数が大きく変わらないことを紹介しました。このような特徴を持つ試料に対してJ Cross Polarization(以下JCP)を利用した2次元測定の例を紹介します。 JCPはHETERO TOCSY、HEHAHAとも呼び、INEPTのように異種核に磁化を移動させる手法です[4]。 溶液NMRでは13Cの信号全域を磁化移動させるJCP条件(Hartmann-Hahn条件)の達成が難しいため、INEPTと比較すると一般的に用いられませんがINEPTではanti-phaseの磁化移動のため磁化移動直後にデカップリングができないのに対し、JCPはin-phase磁化移動であるため、遠距離相関においても磁化移動直後にデカップリングが可能です。そのため、信号パターンが単純化されたデカップリングスペクトルを得ることができます。即ち、13Cで必要な化学シフト範囲が狭く、高分離能のスペクトルが必要な本試料では有用な手法と言えます。一方でホスホン酸アルキルのように1JCPとnJCPでカップリング定数が大きく異なるような試料では小さなカップリングへの磁化移動効率が低下するため、遠距離相関まで観測したい場合には不適切です。図6に13C-31P JCPスペクトルを示し、また13CスペクトルとJCPのスライススペクトルの比較図を図7に示します。図6より特定の31Pとカップリングした13Cの信号を高分離能で観測できていることがわかります。また図7 c)に示す通り、TOCSYの混合時間と同様にJCP時間を大きくしていくことで、小さなカップリングの相関も観測しやすくなります。
jcp_time : 33.5ms
scans:64
a) 31C{1H}{31P} スぺクトル
b) 13C- 31P JCP {1H}{31P} スぺクトル, jcp_time : 33.5ms
c) 13C- 31P JCP {1H}{31P} スぺクトル, jcp_time : 67ms
試料ご提供:
九州大学 大学院農学研究院
有澤 美枝子 教授
河合 靖貴 助教
参考文献
:[1] JEOL アプリケーションノートNM220010
:[2] JEOL アプリケーションノートNM220004
: [3] Arisawa, M.; Otsuka, H.; Idogawa, T.; Sawahata, K.; Kawai, Y. Asian J. Org. Chem., 2024, in press.
: [4] RSC Adv., 2022, 12, 10062-10070