GCxGC-TOFMSによるヒト血漿標準物質 NIST SRM 1950のノンターゲット定性分析
MSTips No. 520
はじめに
ガスクロマトグラフ質量分析計 (GC-MS) は、豊富なマススペクトルデータベース (DB)、操作性の高さ、測定の再現性に優れる点からメタボローム解析に広く用いられている。GC-MSは揮発性化合物の分析を得意とする一方、トリメチルシリル (TMS) 化などの誘導体化処理を行うことでアミノ酸、有機酸、糖類などの極性が高い水溶性代謝物の測定も可能である。そのため、血漿や組織抽出物など複雑マトリクス中の代謝物プロファイリングにおいて重要な分析手法となっている。なかでも、ヒト血漿は生理状態や栄養状態を反映する多様な代謝物を含むことから、メタボローム解析の代表的な評価対象として広く利用されている。ヒト血漿標準物質NIST SRM 1950は、こうした血漿代謝物の分析に用いられる標準試料であり、多数の代謝物について認証値および参考値が提供されている。そのため、GC‑MSを含む各種分析手法の妥当性確認や測定プラットフォーム間の比較に適した試料として広く活用されている。しかし、血漿に含まれる代謝物は多様であり、従来の一次元GC-MS測定では成分の共溶出により解析が困難な場合がある。このようなケースでは、包括的二次元ガスクロマトグラフィー質量分析 (GCxGC-MS) 法が複雑なピーク分離に有効な手法とされる。
GC-MSやGCxGC-MSを用いた代謝物の定性解析は、市販のマススペクトルDBとの比較分析によって化合物推定を行うことが一般的であるが、DBに未登録の化合物が検出されることも多い。我々はこの課題に対し、ガスクロマトグラフ高質量分解能飛行時間質量分析計 (TOFMS) のデータと、深層学習によるマススペクトル予測を組み合わせた自動構造解析手法1) (以後AI構造解析) を搭載したソフトウェアmsFineAnalysis AIを開発し、2022年にリリースした。さらに、2025年にAI構造解析の更なる精度向上、GCxGCデータ解析機能、AI分子式レコメンド機能を搭載したVer. 3をリリースした。本ソフトウェアには、約2億化合物の構造式と予測EIマススペクトルのDB (以下、AIライブラリー) が収録されており、統合解析2) により決定した分子式情報を活用することで、迅速に未知物質の構造式を推定することが可能である。
本アプリケーションノートでは、NIST SRM 1950中の水溶性代謝物をGCxGC‑TOFMSで測定・msFineAnalysis AIで解析し、アミノ酸・有機酸・糖類を含む複数の代謝物を検出した結果について報告する。
実験
Figure 1 JMS-T2000GC AccuTOF™ GC-Alpha 2.0
サンプル準備
サンプルにはヒト血漿標準物質 NIST SRM 1950 を使用した。クロロホルム/メタノール/水の抽出混合液で代謝物を抽出し、メタノール/水層を回収した。その後、遠心濃縮により溶媒を除去することで、水溶性代謝物を得た。抽出の際、シナピン酸を内部標準物質 (I.S.) として添加した。
抽出した代謝物は、メトキシアミン塩酸塩ピリジン溶液によるメトキシム (MeOX) 化を行い、その後MSTFAによるトリメチルシリル (TMS) 誘導体化を行い、測定に供した。
GCxGC-MS 測定、解析
測定は、ガスクロマトグラフ飛行時間質量分析計 JMS-T2000GC AccuTOF™ GC-Alpha 2.0 (日本電子製, Figure 1) とサーマルモジュレーターINSIGHT-Thermal (SepSolve社製) を組み合わせたGCxGC-TOFMSシステムで実施した。イオン化法には、EI法および化学イオン化 (CI) 法を用いた。
解析には、未知物質構造解析ソフトウェアmsFineAnalysis AI (日本電子製) を使用した。本ソフトウェアにより、EI法およびCI法で得られたデータを統合して解析した。その他の詳細条件はTable 1に示す。
Table 1 GCxGC-MS measurement condition

結果と考察
TICCと統合解析結果
Figure 1に、GCxGC-TOFMSで取得したデータをmsFineAnalysis AIで解析して得られた GCxGC トータルイオンカレントクロマトグラム (TICC) を示す。さらに、ピーク強度上位10成分について、EI法とCI法のデータを用いた統合解析により化合物を推定し、アノテーションした結果を併せて示す。
本測定では、糖尿病診断や血糖変動の評価に用いられる血糖変動マーカーである1,5-Anhydroglucitol (4TMS) をはじめ、絶食・糖不足・脂肪酸利用の亢進により増加する代表的な血中ケトン体である3-Hydroxybutyric acid (2TMS) など、血漿に特徴的な代謝物が多数検出された。また、NIST SRM 1950では、分析証明書 (Certificate of analysis, COA) 3)により、各代謝物の認証値および参考値が提供されている。これらのうち、水溶性代謝物として誘導体化を経て GC‑MS で測定可能と考えられる成分を整理し、今回のGCxGC-TOFMS測定により検出できた代謝物をまとめた結果をTable 2に示す。
このように、アミノ酸や糖など、血漿中の代表的な一次代謝物を、MeOX-TMS誘導体化GCxGC-TOFMSにより網羅的に検出できることが確認された。MeOX-TMS誘導体化とGCxGCの高分離能を組み合わせることで、複雑な血漿マトリクス中においても多様な一次代謝物を効率よく検出できることが示された。
なお、Figure 1中のUnknownとアノテーションされている成分についてmsFineAnalysis AIで構造推定を行った結果については後述する。

Figure 1 GCxGC TICC of metabolites in NIST SRM 1950
Table 2 Water‑soluble metabolites listed in the NIST SRM 1950 COA and detected in this measurement

GCxGCの高分離能によって分離できた成分
Leucine (2TMS) について、一次元GC-MSにおける解析結果をFigure 2-A、 GCxGC-MSにおける解析結果をFigure 2-Bに示す。 Figure 2-Aの一次元GC-MS測定結果では、Leucine (2TMS) のピーク強度はPhosphoric acid (3TMS) に対して約1.5%と低く、両成分は共溶出していた。Leucine (2TMS) のマススペクトルを見ると、Phosphoric acid (3TMS) 由来のm/z 299が混在していた。さらに、NIST データベース検索の結果、Leucine (2TMS) のマッチファクターは685と低かった一方で、リバースマッチファクターは850と比較的良好な値を示した。これは、共溶出によりLeucine (2TMS) 由来のピークに余分なイオンが混在していたことを示唆しており、Phosphoric acid (3TMS) 由来のm/z 299 の混在がその一因であると考えられる。また、CI法においてはプロトン付加分子 ([M+H]+) を確認することができなかった。
一方、Figure 2-BのGCxGC-MS測定では、二次元プロット上で両成分を分離することができた。今回のカラムセットでは、1stカラムに微極性カラム、2ndカラムに中極性カラムを使用しており、横軸方向は沸点順、縦軸方向は極性順に各成分が溶出する。Leucine (2TMS) とPhosphoric acid (3TMS)は極性が異なるため、2ndカラムにて分離することができた。さらに、マススペクトルにおいても分離が良好になった結果、Leucine (2TMS) のマッチファクターは897と改善し、 CI法のマススペクトルにおいては[M+H]+ も確認することができた。
このように、GCxGC-MSは異なる特性を持つカラムによる分離とモジュレーターによるピーク濃縮効果により、共溶出している成分や、存在量が少ない成分に対しても有効な分析手法であることが示された。このような分離性能の向上は、微量成分の同定信頼性向上や、夾雑成分の影響を受けやすい生体試料の解析において特に有用であると考えられる。

Figure 2 TICC and mass spectra of Leucine (2TMS) and Phosphoric acid (3TMS)
A: One dimensional GC-MS result, B: GCxGC-MS result.
NIST DB未登録化合物の構造推定結果
今回検出された成分の中には、NIST DBに未登録である可能性が高い成分も含まれていた。解析例として、Figure 1のGCxGC-TICCにおいてUnknownとアノテーションされた成分について、統合解析結果およびAI構造解析結果を以下に記載する。
本成分のEI法およびCI法によるマススペクトルをFigure 3に示す。本成分では、ソフトイオン化法であるCI法のマススペクトルにおいて、プロトン付加分子と推定されるm/z 275 がベースピークとして検出された。また、これらのマススペクトルを用いた統合解析結果の上位5候補をTable 3に示す。統合解析では、NIST DB検索で最も高いマッチファクターを示した候補として Acetamide, 2-amino-N-cyclopropyl-, 2TMSがヒットした (Table 3中青枠)。しかし、そのマッチファクターは 704 と低く、さらに Acetamide, 2-amino-N-cyclopropyl-, 2TMSのプロトン付加分子の組成式 (C11H27N2OSi2) は今回の元素組成推定から得られた組成式候補と一致しなかった。このため、本成分は NIST DB未登録の化合物である可能性が高いと考えられた。 なお、今回は元素組成推定により4つの候補が得られたが、質量誤差・同位体マッチング・カバー率・IMスコア[%]の各指標を総合的に判断した結果、C12H31N2OSi2が最も妥当な組成式と考えられた (Table 3中赤枠)。
次に、本成分に対してAI構造解析を実施した結果の上位18候補をFigure 4に示す。AI構造解析結果では、実測のマススペクトルと構造式からAIが予測したマススペクトルの間のコサイン類似度 (AIスコア) が高い順に、構造式候補が羅列している。AI構造解析の結果、最もAIスコアが高かった候補は”5-aminopentanal_MO_2TMS”であった。5-aminopentanal 自体は、PubChemデータベースに登録されているが、MeOX-TMS誘導体化である5-aminopentanal_MO_2TMS は登録されていない。これは、本成分がmsFineAnalysis AIのAIライブラリーにおいて、MeOX-TMSのin-silico誘導体化により生成された構造式候補であることを示している。
5-aminopentanalは、リジン代謝やポリアミン代謝に関連するアミノアルデヒドの一種である。アルデヒド基を有するため反応性が高く、生体試料中では安定性が低い可能性がある。そのため、血漿中で安定に存在するかどうかは明確ではないものの、関連代謝の変動を反映する候補化合物の一つと考えられる。
このように、 NIST DB未登録成分に対しても、統合解析とAI構造解析を組み合わせることで、候補構造を絞り込める点は本手法の大きな特長である。ただし、本結果は推定構造候補に基づくものであり、最終的な構造同定には標準品測定や追加検証が有用である。

Figure 3 Mass spectra of unknown compound
Table 3 Integrated analysis result of unknown compound


Figure 4 AI structure analysis result of unknown compound
結論
本MSTipsでは、ヒト血漿標準物質 NIST SRM 1950をGCxGC-TOFMSで測定し、msFineAnalysis AIで解析した結果について報告した。糖類、アミノ酸類、有機酸類に加え、糖尿病診断や血糖変動の評価に用いられる血糖変動マーカーである1,5-Anhydroglucitol (4TMS) をはじめ、絶食・糖不足・脂肪酸利用の亢進により増加する代表的な血中ケトン体である3-Hydroxybutyric acid (2TMS) など、数多くの代謝物を検出することが可能であった。また、統合解析およびAI構造解析により、NIST DBに未登録の化合物であっても構造式候補を得ることができた。
以上の結果から、GCxGC-TOFMSとmsFineAnalysis AIは、生体試料中の既知代謝物の網羅的把握と、 NIST DBをはじめとする市販のマススペクトルライブラリー未登録成分の候補構造取得を同時に進めるメタボロミクスにおいて、有用なワークフローであると考えられる。
参考文献
1) A. kubo et al, Mass Spectrom., 2023, 12, A0120.
2) M. Ubukata et al, Rapid Commun Mass Spectrom., 2020, 34, e8820.
3) NIST, Certificate of Analysis for SRM 1950: Metabolites in Human Plasma., 2024, https://tsapps.nist.gov/srmext/certificates/1950.pdf.
謝辞
ヒト血漿標準物質の抽出物の提供ならびに測定・解析においてご指導を賜りました東京農工大学の津川裕司教授および倉田明咲様に、深く感謝申し上げます。
