HS-SPME-GC-TOFMSによる牡蠣中未知物質の構造解析
MSTips No. 472
はじめに
牡蠣は、濃厚な味や食感の良さから、世界中で食されている貝類である。牡蠣は特徴的な香気を呈するが、先行研究によりこの香気は、(Z)-1,5-Octadien-3-ol (Oyster Alcohol, Figure 1) に由来することが分かっている1)。この先行研究では、牡蠣の抽出物を核磁気共鳴装置 (NMR) 、香気成分をガスクロマトグラフ質量分析計 (GC-MS) で分析し 、(Z)- 1,5-Octadien-3-ol を合成して最終確認と同定を行っている。
香気成分の分析にはGC-MSが使用されるケースが多く、定性分析を行う際は、市販の電子イオン化 (EI) マススペクトルライブラリーを用いたライブラリー検索により化合物同定を行うことが一般的である。しかし、1,5-Octadien-3-olは市販のライブラリーに登録されていない”未知物質”である。このような場合、質量分析計として飛行時間質量計 (TOFMS) を用い、電子イオン化法とソフトイオン化法を組み合わせた”統合解析”を行うことで、未知物質であってもその分子式を決定できる2)。さらに、深層学習によるマススペクトル予測を組み込んだ網羅的な構造解析手法3) (以後AI構造解析と称す) を搭載した”未知物質自動構造解析ソフトウェア msFineAnalysis AI”を用いることで、未知物質であっても迅速に構造式まで推定することが可能である。
そこで本MSTipsでは、ライブラリー未登録成分である”1,5-Octadien-3-ol”について、msFineAnalysis AIを用いた解析を行い、該当構造がどの程度の精度で得られるか確認した。
Figure 1 1,5-Octadien-3-ol
実験
サンプル&測定
試料には市販の生牡蠣を使用した。生牡蠣はフードチョッパーで細かく切り刻み、容量20 mLのヘッドスペースバイアルに2.5 mg 封入した (Figure 2)。試料の前処理装置としてオートサンプラーHT2850T (HTA社製) のSPMEモードを使用し、バイアルのヘッドスペース部分の揮発性成分を測定対象とした。測定にはGC-TOFMS (JMS-T2000GC AccuTOF™ GC-Alpha, 日本電子製, Figure 3) を用いた。MSのイオン源にはEI/FI共用イオン源を使用し、イオン化法はEI法およびソフトイオン化法としてFI法を用いた。その他詳細な測定条件はTable1に示す。

Figure 2 Oyster sample in a vial

Figure 3 JMS-T2000GC with HT2850T autosampler
Table 1 Measurement condition

データ解析
得られたデータはmsFineAnalysis AI Ver.2 (日本電子製) で解析した。1,5-Octadien-3-olの探索には、msFineAnalysis AI Ver.2 のターゲット分析機能を使用した。ターゲット分析機能とは、あらかじめターゲットリストに登録した分子式、m/z値、CAS# (NISTライブラリーに登録されている成分のみ) から化合物を自動で探索する機能である (Figure 4)。今回の解析対象である1,5-Octadien-3-olはライブラリー未登録成分であるものの、分子式を登録することで該当化合物の迅速な探索が期待できるため、本機能を使用して解析を行った。
Figure 4 Target list
結果と考察
ターゲット分析機能による1,5-Octadien-3-ol の探索
Figure 5に牡蠣の測定結果のトータルイオンカレントクロマトグラム (TICC) および、1,5-Octadien-3-olの分子イオンの抽出イオンクロマトグラム (EIC) を示す。TICC上で最も高強度に検出されていたRT 9.91 minのピークは、EICでも同位置にピークが検出されていたため、この成分について詳細に解析した。本成分のターゲット分析結果をFigure 6に示す。ターゲット分析では、いくつかの判定を組み合わせることでターゲット化合物が存在するか確認を行う。今回は、分子イオンの精密質量解析、分子イオンの同位体パターンマッチング、EIフラグメントイオン精密質量解析の3つの判定を行っているが、いずれも”OK”判定を示し、本成分が1,5-Octadien-3-olであることが示唆された。そのため、本成分をAI構造解析に供した。
1,5-Octadien-3-ol のAI構造解析結果
本成分のAI構造解析結果をFigure 7に示す。1,5-Octadien-3-olと一致する分子式 (C8H14O) の構造式は2,622候補存在した。 1,5-Octadien-3-olは、官能基としてアルコールを持つため、部分構造フィルターを用いてヒドロキシ基 (OH) を持つ化合物のみを絞りこんだ。その結果、1,056候補まで絞り込むことができた。最終的に1,5-Octadien-3-olの構造式は、1位の候補として得られた。また、msFineAnalysis AIでは実測EIマススペクトルとAIが予測したEIマススペクトル間でコサイン類似度を使ったスコア”AIスコア” (Max 999) を算出しているが、このAIスコアに関しても892と高い値を示していた。
以上のように、msFineAnalysis AIのAI構造解析機能により1,5-Octadien-3-olの構造式が高精度に得られることが確認できた。本構造解析結果は、立体異性情報を持たないため完全同定には至らないものの、装置や解析者の腕に頼らないスピーディーな構造推定が可能であることが示された。
Figure 5 TICC of oyster
Figure 6 Target Analysis result of “1,5-Octadien-3-ol ”
Figure 7 AI Structure Analysis result
結論
本MSTipsでは、食品中香気成分の解析事例として、牡蠣中のライブラリー未登録成分である1,5-Octadien-3-olについてmsFineAnalysis AIを用いた解析を行い、該当構造がどの程度の精度で得られるか確認した。AI構造解析により、最終的に1,5-Octadien-3-olの構造式は、1位の候補として得られた。また、AIスコアに関しても892と高い値を示し、高精度な結果が得られることが確認できた。GC-TOFMSとmsFineAnalysis AIがGC-MSによる食品中香気成分分析において有効であることが確認できた。
参考文献
1) Kenji Ueda et al, J. Oleo Sci. 72, (7) 725-732 (2023).
2) M. Ubukata et al, Rapid Commun Mass Spectrom. 2020; 34:e8820.
3) A. kubo et al, Mass Spectrometry, 2023, 12, A0120.