におい嗅ぎGC-TOFMSによる産地の異なる赤ワイン香気成分の差異分析
MSTips No. 502
はじめに
食品の香気成分は、おいしさに関わる重要な要素であり、腐敗臭などのオフフレーバー成分も食品の品質を左右する重要な因子の一つである。これらの香気成分は揮発性が高く、多数の成分が複合して存在するため、その分析にはガスクロマトグラフィー質量分析法 (GC-MS) が広く用いられている。さらに、におい嗅ぎGC-MS (GC-O-MS) は、GCにより分離された各成分について、人の嗅覚による官能評価と質量分析法 (MS) による化学的同定を同時に行うことが可能であり、香気成分の官能的寄与を明らかにする有効な手法である。
GC-MSにより食品の香気成分の定性分析を行う際は、アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) が提供している電子イオン化 (EI) マススペクトルライブラリーを用いたNISTデータベース (DB) 検索により化合物同定を行うことが一般的である。しかし、DBに未登録の化合物が検出される場合もあり、それらは未知物質として扱われる。我々はGC-MSにおける未知物質構造解析ソリューションとして、高質量分解能GC-MSである飛行時間質量分析計 (TOFMS) のデータと、深層学習によるマススペクトル予測を組み合わせた自動構造解析手法1) (以後AI構造解析) を搭載したソフトウェアmsFineAnalysis AIを開発し、2022年にリリースした。本ソフトウェアには、PubChem DBから取得した約1億化合物の構造式と予測EIマススペクトルのDB (以下、AIライブラリー) が収録されており、統合解析2) により決定した分子式情報を活用することで、迅速に未知物質の構造式を推定することが可能である。
そこで本MSTipsでは、市販の赤ワインをヘッドスペース-固相マイクロ抽出 (HS-SPME) を用いたにおい嗅ぎガスクロマトグラフィー飛行時間質量分析法 (GC-O-TOFMS) による香気成分の測定と、msFineAnalysis AIによる解析結果について報告する。
実験
試料には市販のイタリア・トスカーナ地方産 (2022年製造) およびフランス・ボルドー地方産 (2018年製造) の赤ワインを使用した。各赤ワインは、容量20 mLのヘッドスペースバイアルに10 mLずつ封入した (Figure 1)。試料の前処理装置としてオートサンプラーHT2850T (HTA社製) のSPMEモードを使用し、バイアル内のヘッドスペースに含まれる揮発性成分を測定対象とした。測定装置としては、におい嗅ぎシステムOP275 Pro (GLサイエンス社製) とGC-TOFMS JMS-T2000GC AccuTOF™ GC-Alpha (日本電子製, Figure 2) を用いた。におい嗅ぎ測定は、パネル選定用基準臭 (第一薬品工業社製) を正確に識別できる能力を有するパネル1名が各試料について2回ずつ実施した。MSのイオン源にはEI/FI共用イオン源を使用し、イオン化法としてはEI法および、ソフトイオン化法としてFI法を用いた。解析には、EI法で得られた n=3、およびFI法で得られた n=1の測定データを使用した。GC-MSデータの解析ソフトウェアにはmsFineAnalysis AIを使用した。その他詳細な測定条件はTable1に示す。
Figure 1 Red wine samples
Figure 2 JMS-T2000GC with HT2850T autosampler
Table 1 Measurement condition
結果と考察
TICCと差異分析結果
Figure 3にEI法で取得したトータルイオンカレントクロマトグラム (TICC) と、クロマトグラム上で強度の高かったピークに対するアノテーション結果を示す。各試料からは、”Hexanoic acid, ethyl ester”や”Decanoic acid, ethyl ester”などのエステル類や、”Phenylethyl Alcohol”といった芳香族アルコール類など、香気に寄与する成分が検出された。さらに、Figure 4に差異分析結果としてボルケーノプロットを示す。このプロットにより、両試料に共通する成分と、それぞれに特有の成分を視覚的に比較することができた。その結果、フランス産赤ワインに特徴的な成分は15種、イタリア産赤ワインに特徴的な成分は6種、両者に共通する成分は28種抽出された。
各試料に特徴的な成分の詳細な解析結果については、次節にて報告する。

Figure 3 Total ion current chromatograms of EI data

Figure 4 Volcano plot
各試料に特徴的な成分の統合解析結果
Table 2にフランス産ワイン、Table 3にイタリア産ワインに特徴的な成分の統合解析結果を示す。“Lib.”欄に「mainlib」または「replib」と記載された化合物は、NISTデータベース (DB) 検索においてマッチファクター700以上の化合物を示している。この結果から、フランス産ワインにはButanoic acid, 2-methyl-, ethyl ester (ID: 011) やButanoic acid, 3-methyl-, ethyl ester (ID: 012) などの分岐脂肪酸エステル、さらに2 (1H) -Naphthalenone, 3,4,4a,5,6,7-hexahydro-1,1,4a-trimethyl- (ID: 040) などのテルペン誘導体と推定される化合物が検出された。一方、イタリア産ワインでは、Octanoic acid, ethyl ester (ID: 036) やDecanoic acid, ethyl ester (ID: 046) といった直鎖脂肪酸エステルが強く検出された。フランス産ワインに特徴的であった分岐構造の脂肪酸エステルは、ワインの熟成過程で生成されることが報告されており3)、2018年に製造された本ワインの特徴を示していると考えられる。一方、イタリア産ワインでは、酵母由来と推定される直鎖脂肪酸エステルが強く検出されており、製造年数の浅い本ワインの特徴を反映している可能性がある。
また、両試料においてNIST DB検索におけるマッチファクターが700未満の未知物質 (Lib.”欄に「AI」と記載) も複数検出された。このうち、フランス産ワインに特徴的であった化合物 (ID: 042) についてAI構造解析を行った結果の上位18候補をFigure 5に示す。候補には多様な構造が含まれていたが、ラクトン類に類似する構造が多数確認された。ラクトン類は発酵および熟成過程で生成される香気成分であり、発酵由来のラクトン (例:γ-ブチロラクトン) は若いワインに、熟成由来のラクトン (例:オークラクトン) は樽由来であり熟成ワインに多く含まれる4)。先述した通り、フランス産ワインでは熟成に由来すると推定される香気成分が検出されており、ID:042の化合物もラクトン構造を示す候補が上位に多く含まれていたことから、熟成により生成されたラクトン類である可能性が高いと考えられる。
Table 2 Characteristic compounds in French wine

Table 3 Characteristic compounds in Italian wine

Figure 5 AI structure analysis result of ID: 042
におい嗅ぎ測定結果
各試料について2回ずつにおい嗅ぎ測定を実施し、その結果とTICCを統合した図をFigure 6に示す (白色は測定1回目、カラーは測定2回目を示す)。フランス産ワインでは、1回目に24種、2回目に23種の香気情報が得られた。イタリア産ワインでは、1回目に22種、2回目に20種の香気情報が得られ、いずれの試料においても概ね再現性のある結果が得られた。
次に、TICCピーク強度とにおいの強度の関連について確認した。フランス産ワインに特徴的な成分である Butanoic acid, 2-methyl-, ethyl ester (ID: 011) とButanoic acid, 3-methyl-, ethyl ester (ID: 012) は、GC-MS測定でフランス産に特有の成分として検出されたがイタリア産ワインにおいても検出された。 それぞれのTICCピーク強度は、Butanoic acid, 2-methyl-, ethyl esterはフランス産の方が約2.7倍、Butanoic acid, 3-methyl-, ethyl esterはフランス産の方が約2.6倍強く、その強度に違いが見られた (Figure 7)。におい嗅ぎ測定の結果では、Butanoic acid, 2-methyl-, ethyl ester は、フランス産ワインは両回の測定で強い甘い香りが感じられた一方、イタリア産ワインでは、1回目に中程度パイナップルの香りが、2回目に弱い甘い香りが感じられた。Butanoic acid, 3-methyl-, ethyl ester (ID: 011) に関しては、フランス産ワインでは1回目に中程度のフルーツ香りが、2回目には前述の成分よりさらに甘い香りが強く感じられた。イタリア産ワインでは1回目にパイナップルより甘い感覚の香り、2回目に中程度の甘い香りが感じられた。これらの化合物は、フランス産ワインの方がにおいが強く感じられる傾向があり、GC-MS測定で得られたTICCのピーク強度の違いとも一致する結果となった。

Figure 6 Integration of total ion current chromatogram (TICC) and odor information in GC-O analysis results

Figure 7 Peaks of Butanoic acid, 2-methyl-, ethyl ester and Butanoic acid, 3-methyl-, ethyl ester
結論
本MSTipsでは、産地の異なる赤ワインにおける香気成分の差異をGC-O-TOFMSとmsFineAnalysis AIを用いて分析した。差異分析の結果、フランス産ワインでは、熟成に由来する分岐構造の脂肪酸エステルをはじめとする成分が特徴的であり、イタリア産ワインでは酵母由来の直鎖脂肪酸エステルが特徴的であった。また、AI構造解析によりフランス産ワインに未登録成分のラクトン類と推定される成分も確認できた。さらに、におい嗅ぎ測定により両者の香気成分の差異をButanoic acid, 2-methyl-, ethyl ester とButanoic acid, 3-methyl-, ethyl ester で確認したところ、GC-MSデータとにおい嗅ぎ測定結果が一致する傾向がみられた。以上の結果より、GC-O-TOFMSとmsFineAnalysis AI の食品香気成分分析への有用性が示された。
参考文献
1) A. kubo et al, Mass Spectrom., 2023, 12, A0120.
2) M. Ubukata et al, Rapid Commun Mass Spectrom., 2020, 34, e8820.
3) M. C. Díaz-Maroto et al, J. Agric. Food Chem., 2005, 53, 3503–3509.
4) A. I. Pardo-Garcia et al, J. Agric. Food Chem., 2015, 63, 18, 4533–4538.
